日記

働いていると時々へんな気分になる。気づけばずっと長く同じ仕事を続けている。繰り返し辞めようという気も起こったが、結局のところ同じ仕事を続けている。そんな気分を気にかけていなければ気楽に仕事ができるはずなので、たまにそういう感情を無視して仕事しようと思うが、それも疲れる。身を粉にして尽くしてやろうという気は起きない。詳細は省くが、身を粉にすればするほどさらに身を粉にするよう求められる仕事だからで、自分の許容量を超えて身を粉にしようものなら日常生活に支障が出る。集中を繰り返せば一日にできる仕事の量は増えるが仕事が終わって生活に戻った時になにもできなくなる。生活が回らなくなるくらい仕事に注力してしまったら、それは差し出すべきではない部分まで差し出していると思う。洗濯物を畳めないくらい、シンクの洗い物を残すくらい、限界を超えているならば、仕事する量を抑えたいと思う。仕事は仕事だし、生活は生活だから、それぞれ独立していて、仕事で誰かに親切にしたら洗い物がきれいさっぱり済んでいる、なんていう因果はない。仕事で誰かのわがままを聞く時、この人はそのさきのことをなにも考えてはいないんだろうなと思う。わがままを聞いて、いつもの倍の速さで仕事を終わらせて、それで僕はやるべきこともできないまま寝る。仕事と生活は別々にあるのに同じ人間の体が仕事と生活を行き来する。疲労は双方向に持ち越される。だったら生活で疲れて仕事をそこそこにやったらいいんじゃないかと思う。前日飲んでて二日酔いで仕事するなんて最高じゃないか。僕はお酒がうまく飲めないからできないけれど、どうせ気を抜いていると山のように溢れる仕事に二日酔いのカウンターパンチを喰らわせたらいいと思う。仕事が生活を蝕む。それは仕事がやりたい仕事じゃないからなんだと思う。でも、仕事にやりたさを求めてはいない。仕事してお金が貰えて、それでご飯が食べられたらいいじゃないか。やりたいことは仕事以外にあって、それが楽しい。仕事は続ける。生活も続ける。やりたいことも続ける。3つ以上の階層を行き来して、すべてが同じ人間だというのがおかしくて面白い。

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