日記・創作が漂う海
「いまはどこでも発表するところはあるから」
そう最近よく聞く。
文章にしても絵にしても写真にしても映像にしても、その他様々な創作が人の目に映る場所というのはインターネットのどこかにあると、そういうわけで。
一理ある。発表する場はある。
でもそれってたとえば路上ライブをするみたいな感覚と同じで、誰が見るのか全然分からないけど通りかかった人がたまたまその業界の人で、その人の目に止まればいいな、みたいな賭けなんじゃないかとも思う。
そりゃ、誰の目にも届かないよりはいくらかマシだけれど、海にボトルメールを流すみたいな感覚だと思う。
そういう、たくさんの創作のボトルメールが山のようにインターネットの海に浮いている。いまの感じはそんなところだと思う。
誰も意図的に特定の創作にはたどり着けない。漂流する創作はもうずっと誰の手にも届かないかも知れないし、たまにどこかの岸辺に漂着したとしてもそこは異言語の国なので意味が伝わらない、なんてこともあると思う。
創作はその種類に合ったプラットホームに流す。案外それが大事な気がする。正しい流れに乗せないとたどり着いてほしいところに創作はきっと届かない。
なんとなくそんな気がする。創作が漂う海は広すぎる。
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