日記

今日は友だちの子どもの誕生日のお祝いに絵本を贈った。そういえばお誕生日おめでとうって言い忘れていたな、少し過ぎてしまったから、まぁいいか、と思う。生まれたときから毎年絵本を贈っていて、気づけばおしゃべりできるくらい大きくなっていた。年に一度しか会わないというポジションから子どもの成長を見ているのは気楽で申し訳ない気持ちもする。ただその感慨は大きくて、胸に抱き留めて収まっていた子どもはついに辺りを走り出すようになり、飛び跳ねて、それを言葉で説明しようとしていて、この段からは飛べるけどこの段からは歩いて降りて行く、みたいなことを話してくれた。それから、飛行機は夜はぴかぴか光っていて、朝は光ってないけど光ってる。太陽が反射して物体そのものは光っていないが光って見える、ということを言っていて、飛行機というものを認識して、その見える光が自ずから出ているかそうでないか判別できるようになっていて、成長の過程をなにも知らない僕は一年ごとにその点その点でその子の変化を見ているからとても驚く。そして僕は少しだけ子どもとおしゃべりできるようになっている。なぜなのか分からないが、この前、子ども向けの縁日のお手伝いをしているうち、気がついたら子どもしゃべるのがもうしんどくなかった。いままで子どもがしゃべることにどう返事したらいいか分からなかったのに、なんとなく自然と言葉が出てくるようになった。普段はまったく子ども関わる機会がない。でも子どもにも子どもなりに気を遣わせてしまっているという感じはあって、というか、大人に気を遣わない子どもっているんだろうか、無邪気で無頓着と思っている子どもが少しも大人に相手が大人という理由で忖度しないということができるんだろうか。今日会った友だちの子どもに「はじめまして」と言った。実際は何度か会っているけれどその子は多分覚えていないし、僕は会ったことを覚えていない大人に「何度も会っている」という顔をされるのが嫌な子どもだったから、はじめて会ったつもりでその子に会った。友だちの子どもはたくさんおしゃべりしてくれて、おしゃべりが楽しかった。帰ってくると小原晩さんの新刊のこれが生活なのかしらんが届いていた。サイン入り。サイン入りの本に入っているサインのインクをカバーする半紙が好き。同じシリーズの僕のマリさんとか向坂くじらさんとか、おもしろいエッセイを読むと東京に住むってなんだかそれだけで生活が楽しそうな気がしてしまうけど、でもやっぱり東京に住む想像はうまくできない。


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