日記・元カノって忘れなきゃダメですか

 元カノってそんなに失わなければいけない概念ですか、と常日頃思っている。

 元恋人について「男性は名前をつけて保存、女性は上書き保存」とよく聞くが、これは結局のところいつまでも元カノを忘れられない男性への皮肉のように僕は思っている。被害妄想かも知れない。男は上書き保存できないのね、と蔑まれている気がする。

 そういう訳で僕は表向きは元カノは上書き保存した風に生きている。この人もご多分に漏れず名前をつけて保存しかできないのね、と思われたくない。

 でも実際の頭の中は名前をつけて保存している。それぞれの人の名前を思い出せるし顔だって(いまはどんな顔をしているのか全く分からないけれど)思い出せる。でもそれは元カノだからというよりも、その時々で瞬間的に最も大切な人だったからだと思う。

 こんなことを彼女の前で話すのは絶対に良くないし不必要な嫉妬を生むだけだと思うから余計な話はしないけれど、僕の真意としては元カノであると同時に人生のある期間にいた大切だった人で、それを上書き保存したり削除したりというのはその期間の自分の記憶をごっそり失くすことと一緒だと思っている。

 だから元カノを引き摺っているのとは違うと思う。強がりかも知れない。世の男性一般と大差なく昔付き合っていた女性の記憶をいつまでも大切に抱えているのでしょうと思われても仕方がない。

 上辺はその通りだ。今日みたいな月が綺麗な日は『きいろいゾウ』を思い出す。『きいろいゾウ』は元カノから教えてもらった作品で『きいろいゾウ』について思う時、元カノの記憶も一緒に思い出される。でもそれはその作品を教えてくれた人だったからで、それで元カノを恋しく思うことはない。いい作品を教えてくれたいい人だったなぁと素直にそう思っている。

 それのどこが悪いのか、いやその人が結局は元カノだという事実は拭えないからなのは重々分かっているのだが、元カノという上面ばかり指摘されて(しかし誰かに指摘された訳ではないが)僕は結構憤慨している。いい人のことをいい人だったなぁと思い出すのはそんなに悪いことなんでしょうか。

 元恋人なんてほとんど他人じゃないかと思うのだ。一時期プライベートにお互い踏み込んだ過去があるだけで(という実績そのものが元恋人が忌避される理由かも知れないとふと思ったが)、すべてを忘れてしまわなければいけない理由があるのだろうか。

 日々の生活の中で風化して忘れない記憶ということはそれくらい印象深い記憶だからなのではないかと僕は思う。確かにそれは元カノとの記憶で、覚えていること自体さえ褒められたものじゃないのかも知れない。

 でもそれは僕の人生の中で間違いなく起こったことで、記憶はその時の感動と共に残っている。それをくれた人が上辺では元カノになってしまっただけで元カノという言葉が示す成分を持つ人だとは思っていないのだ。

 ……うーんなんだか説得力がないんですが分かりますか。元恋人は元恋人でもあるし、生き方の一部を分けて教えてくれた人でもあると思うんですよね。それじゃあ余計忘れた方がいいよって言われそうですけど。

 

 

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