日記・しょっぱい牛丼

「他の店よりしょっぱいね」

学生の頃、駅前の牛丼屋で牛丼を食べていたときにレジでお会計をしていたサラリーマンが店員に言った言葉をたまに思い出す。

チェーンの牛丼屋で、オペレーションもしっかり決まっているはずだから、そこまで味が変わるようなものではなかった。実際、僕も味の違いが気になることはいままでなかった。

そのサラリーマンはわりと大きな声で、牛丼の玄人みたいにそう言い放っていた。

家族の間で僕は味オンチで通っていて、実際のところなにがおいしいとかまずいとかはっきりと思うようになったのは二十歳を過ぎてからだった。

だから僕はいまだに味が前と違うとかどうとかという感覚に自信がない。自分が感じる味に精度がないと思う。

ただ最近はなんとなく味の違いを感じる気がしている。この前と違う味がする気がする。気が、する。いや違うかもしれない。

違うかもしれないから言葉にはしない。ただぼんやりと、前と違う感じがすると思う。

でもそれって味のせいなのか、と疑う。料理の味は同じかもしれないけれど、料理を食べる僕のほうが前と違ったら? 部屋の温度、食器の温度、空気の流れ。あのときと本当に一緒なんだろうか。

そもそも、料理自体が前と同じ味で再現され続けられるという前提も間違っているかもしれない。同じ手続きを踏めば同じ味になる。果たしてそうなんだろうか。

口の中で発生する「味」という現象に、どれくらいの再現性を保証できるんだろう。同じものを食べれば同じ味がする、という前提は、もしかしたら間違っているのかもしれない。

そうなったときに、おいしい、とか、まずい、とかいった感覚は、とても主観的なものになる。再現性が低いのに、いま感じている味はなにと比較すればいいというんだろう。

あのサラリーマンの言い放った言葉は、もしかしたら本当かもしれない。塩分濃度を計れば、はっきりとしょっぱいと分かるかもしれない。

でも僕は計ってもいないことを真理みたいにはっきりと言葉にできない。だからただおいしいと思ったときにだけ「おいしい」と言う。それだけが素手で掴める真実のような気がしている。


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