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日記・秋分の日にやる気を出すには

 今日は友達のところの子どもが1歳になったので絵本を持っていった。言葉が必要なく紙質が面白いので興味を持ってくれたみたいだった。

 芥川龍之介の『杜子春』を読んだ。村上春樹の『ノルウェイの森』を第三章まで読み終えた。『短歌研究』の10月号を買い、工藤玲音の『水中で口笛』の評を読んだ。

 平日に囲まれた孤島のような休日で、今日こそは書かずに放置している小説を書き進めようと思ったがなんとなく小説を書く気にならない。やる気が湧いた時にだけ書くという方法はあまり効果的ではないのでよくない。

 たとえば、こういう状態になったら小説を書き始めると決めればいい。書く場所を決めるとか、何時になったらとか。やる気が湧いたらというトリガーはほとんど現れないと思っていいと思う。

 やる気はやらないと出ない、という言葉は、やるとやる気が出る、というよりは、やるという行動が強化されるという言い方をする。強化とは、ある行動がその後の結果によって強められるという意味の行動分析学の言葉だが、小説を書くという行動で説明するならば、小説を書くことで小説の文章が現れて小説が進んでいくことが小説を書く行動を強化する。

 だから文章は書いてしまった者勝ちなのだ。なんとなく書きたくないからと書かないでいると永遠に書く行動は強化されないし、書いて、書いた文章が現れ、文章が現れると書き進んだ結果が書く行動をさらに強化して、書く人はどんどん書くようになる。それを簡単にはしょって「やる気はやらないと出ない」と説明する。

 書く習慣がない人は文章の美しさは一度置いておき、まずなるべくたくさん書くことを習慣にするしかないのだと最近つくづく思う。正確さと素早さは通常はトレードオフの関係にあって、正確にやろうとすると遅くなり、素早くやろうと不正確になる。これは文章の美しさと書ける文章の量と似ていると思う。

 最初から美しくたくさん書こうというのは無理だ。美しく書こうとしているうちに書かない日が増えてしまったらいつか全く書かなくなってしまう。僕は文章のプロではないのでこれが正しい方法かは定かではないが、まずは早く書ける内容で書くのが大事だと思う。

 早く書ければその分書いた内容によって書く行動が強化される。強化の元となる結果は行動したあとなるべく早く現れた方がいい。そして白紙だった原稿が文字で埋まっていけば「書き進められた」という結果が次の原稿を書く行動につながる。

 書けることを書く。これはいったい誰に向けた文章なんだろう。これから文章を書き始める誰かの為のように見えて、実は小説を書きたいと思っている自分に対して書いて諭している。

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