日記・水切りと片想い

 切り花の茎を水中で切ることを水切りという。切り花の寿命を伸ばす為の工夫らしい。子どもの頃から花を水の中で切る様子を見てその方法こそ知っていたがなぜ水中で切らなければいけないのか分からなかった。調べてみると理にかなっていて、つまり切り口から水を吸う管に気泡が入らないようにするためだった。はじめに水中で切ろうと思った人はどうやってそこに辿り着いたのか、きっと長い間花を見ていたのだと思う。
 今日、映画『mellow』を見た。主演の田中圭が演じる花屋の夏目とその花屋を中心に起こるいくつかの片想いの話だった。約2時間の間に何度も告白しては何人も振り振られていくので最初は苦しかったが段々慣れてきて、見終わる頃には振られると分かっていても振られた方が良いと思うようになっていた。
 この映画を作った今泉力哉監督のことを去年同監督作品の『愛がなんだ』で知ったのだが、愛がなんだは真逆で岸井ゆきのが演じる山田テルコが延々と片想いして自ら片想いの泥沼に飛び込んでいく映画だった。
 人間の感情に健全も病的も判断するのはおかしい気もするが、mellowの方が健全的な感じで物語が終わる。愛がなんだはかなり病的だ。片想いをしている人に愛がなんだは毒になるか薬になるか分からない。mellowは薬になりそうな気がする。
 mellowの中で一度だけ田中圭演じる夏目が煙草を吸うシーンがある。いわれのないトラブルに巻き込まれ辟易して車の中で滅多に吸わない煙草を吸う。助手席の姪っ子が言う。
「煙草って毒だよね」
「煙草って毒だけどね」
 煙草って確かに毒だけど、毒にも薬にもならない何かを吸うより毒が救う感情があるのかも知れない。愛がなんだの毒っぽさに時々見たくなったり内容を思い出したりする。距離を置いて見れるので無傷で済むせいもあるのかも知れない。煙草も吸うその時は無傷のような気がするからまた吸えるのだと思う。
 愛がなんだに登場するナカハラという男が「幸せになりたいっすね」と言う。ナカハラも他の女性に片想いをしていて、物語の終盤に見込みのない片想いをやめる決心を話した後、テルコに吐き捨てる台詞だ。主人公のテルコは片想いの男と付き合える希望が全くないと分かっていても自分の感情を偽って友達としてその男の近くに居続ける。それは片想いとはもっと別の、執着が最も近いか、別の感情がテルコを動かしている。
 振られそうになって友達として居続けた方が今は長く近くに居られるとテルコは思って、テルコは今までの想いを偽って友達になってみせる。その片想いの男は煙草のような毒だと思う。本人はそれが毒だとは思っていない。
 愛がなんだを見ていた頃はテルコのような方法もアリだと思っていたがmellowを見て、あれは結局毒だったのだと思った。水切りと思い込んでいたそれは煙草の煙りの中で花を切るようなもので、恐らく花は早く枯れる。
 
 なんかこじつけてしまいましたがmellowも愛がなんだも面白いので見てほしいです。

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