日記

ここのところ内臓の調子が悪い。なにがどうというのは分からないが消化器官の調子が良くないみたい。このまま大病を患って死ぬのかと思うけど、そう思った通りにはいかない。別に死んだっていいとは思っているのだが、死に至らないわりにきつい病のほうが辛いので、この病は死に至るかもしれないと思っていたほうが気が楽でいられる。仕事が忙しく、昨日は眠るという選択肢を選べなかった。選び疲れるとなんにも選べない。お風呂に入るとか歯を磨くとか、そうやって疲れたまま眠るのが遅れて余計に疲れていく。きっと良くない流れだが、このサイクルから抜け出すには仕事のウェイトを軽くしてやる他にない。今日はとにかく僕にしかできないことを優先してやるというだけでずいぶん楽に仕事が進んだ。別に、僕以外の誰かができる仕事は無理に僕が手をつける必要はないんだと、山になっていく仕事を、あれは僕の山ではないと言い聞かせると気がとても楽になった。手をつけた仕事は頭の中で少しずつメモリを食っていくので、手をつけている未完了の仕事が少ないというだけでこんなに楽なものか、と思った。今日は昨日より1時間ほど早く仕事を切り上げる。ずいぶん早く帰っているような気がしたが普段は帰宅がもっと早いので、人間の慣れはほんとうに怖いなと思う。残業が当たり前になればそういうもんだと勘違いする。僕は使用人なのでなんであれ決まった給料が出て、その労働の実態については誰も評価していないから自分で評価するほかなく、これがきっと人をおかしくさせていくんだろうなと思う。こんなもんでいいのか、と思えばみんなどんどんサボっていくし、サボれない人はどんどん仕事を抱えて、どういうわけかサボれる人は楽になりサボれない人はどんどんキツくなる。サボれない人は同じ給料でどんどん仕事しちゃうから、かといって別にサボってない人が評価されるとかはない。誰も仕事の総量を把握できないからで、そこには単位もなければ尺度もない。だから、時間とか金額でしか測れない。労働時間は他人に仕事を任せれば減らせるし売上高は上客を持っていれば自然と上がってくる。こういった数字だけで評価しようとすると結局のところ甘い汁を選び取って啜れる人がさらに甘い汁を頂戴するようになっている。しかしそういうことを見極めるのが大事だというなら正しい評価軸だと思う。あーいやいやなんでこんなことを書いているのか分からなくなってきた。とにかく、自分の仕事の評価は自分でしたほうがいいと思っている。自分で漕いだ舟の道筋を知っているのは己だけだろうし、渡った水平線の数は自分で数えなきゃ。

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