日記

朝から東京へ。イヤフォンを家に忘れた。国分寺の好きなカフェへ行くまでに最果タヒさんの『コンプレックス・プリズム』を読む。国分寺に着いてカフェへ。日本茶が飲めるのだが2煎目の注ぎ方に失敗した。国分寺から御茶ノ水に移動して観劇。茫然のまま銀座へ写真展を観に行く。たくさんの写真とたくさんの羽根を観た。夕方、帰ってくる途中でお腹が減ってなーんも考えられなくなって、ファミレスでコーラを飲む。コーラの砂糖で観劇の感想が書けた。書くか迷ったし、書く前はなんも書けない気がしたけど、書いてみたら涙が滲んだ。観劇したのは不思議な席だったけれど、僕にとっていちばんいい席だったと思う。あんな気持ちで観れるものって、これからあるんだろうか。自分がその主人公になってしまったような、でもその劇を自分で観ているという、不思議な気持ちだった。はじめ、目線をどこに向ければいいか分からなくて、暗幕になったつもりで(黒い服を着ていたしちょうどよかった)焦点を誰にも合わせないで周辺視野をめいっぱい広げて観ていた。それはとても心地よくて、ほんとうに暗幕になった気分で、言うならば自分も舞台装置の一部になったようだったし、舞台全体の構成もそのような形だった。観客同士が向かい合わせになって、向かいの観客席ではロリィタのお洋服を着ている人がいて、その人も舞台の一部のようだった。ああよかった、と思った。暗幕になれてよかったと思っていた。向かいの席からはどうか暗幕に見えていますように。なるべく動かないようにして、モノみたいに観劇していたら、そうしていられなくなった。見つけたのだ。そこに、自分を見つけた。本気でそう思った。そんなわけないのだって、分かっていてもなお、そう思った。あれはわたしだ。そう思ってからはその人がどんな表情で、どんな動きで、舞台に立っているのか、観ていた。観るしかなかった。観ているとたちまち涙があふれて、よかった、と思った。舞台のわたしがロリィタのお洋服に袖を通す瞬間、うれしくて泣いた。自分の腕にも同じ服の袖が通ったような感じがした。そして、晴れてロリィタのお洋服を纏ったその人は僕のすぐ横のドアを開けて、光のなかに消えていった。それはまるで、自分のなかに自分が戻ってきたようだった。光のなかで、ロリィタを着ていない自分とロリィタを着た自分がちゃんとひとりに戻って、それで僕はロリィタを着たことになる。着たことになった。帰りの道で北出菜奈さんの『希望のカケラ』を聴いたら「いま叶わないことのない夢だけを夢見てゆくの」という歌詞が出てきて、その歌詞は次のように続く。「すぐに届きそうな理想よりもっとずっと欲しいものがあるの」。

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