日記・生きている論理が違う人は別々の物語の中で生きている

 生きている論理が自分とは違う人がこの世にはたくさんいる。

 なんといえばいいだろう、つまり同じ物語の中にいないのだ。

 僕はなんとなく人間はみな同じ物語の中にいると思っていた。時間軸が違かったりポジションが違うだけで、物語としては同じ方向に向かって動いているのだと言葉にしなくてもそのような前提を持っていた。

 しかしそうやって説明するにはそれぞれの物語が全く違っていることに気づく。地球、というと広いが、同じ日本の中でも同じ物語を全員が歩んでいる訳ではない。

 物語が違えば、まるで違う論理で動く。同じ言葉でもニュアンスが違う。片方は荒々しく削り出された石器であれば、もう片方は渡り鳥が落とした柔らかい羽根だ。

 それぞれ違う物語の中に僕は偶然どちらにも紛れ込んでしまった気分になる。どちらの物語も知っているし、それぞれの論理を使い分けられる。

 そういうまとまりのことを社会というのならそうなのかも知れない。同じ物語の中にいる人たちのことを社会と呼ぶのかも知れない。


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