日記・フジロックと引っ越し

 フジロックといえば引っ越しだ。去年、フジロックの日に友だちの引っ越しを手伝っていた。

 YouTubeで配信されているフジロックを友だちの新居の部屋で見ていた。引っ越しの荷物を入れ終わったあと、大きいテレビがフローリングに直に置かれていて、フジロックを見ているとようやく冷房が効いてきて荷物運びでかいた汗が引いてきた。

 友だちはひとり暮らしの部屋からふたり暮らしの部屋へと引っ越した。結婚する、と言って、それで引っ越しを手伝ってほしいというので二つ返事で手伝った。

 親しくしていた友だちが結婚するのは初めてで、結婚した実感がまるで湧いていなかったのに、引っ越しをしているとみるみる友だちの結婚が現実味を帯びてきて、フジロックを見始めた頃には結婚する前の友だちと結婚したあとの友だちがちょっと別人にすら思えてきた。

 これからも全然遊ぶつもりでいたし、結婚したってなにかが友だちを縛るわけでもないし、結婚したからなんだっていうんだ、と思い込んでいたけれど、実感が湧いてくると不思議なもので訳も分からず親切にしたくなる。

 結婚ってなんか知らないが大変なもんなんじゃないか、みたいな気がしてきて、僕より難しい人生のほうへ足を伸ばした友だちを、祝福しつつ助けてやろうと思っている自分がいた。

 引っ越しの手伝いはその「助けてやりたい」という感情を満たすものだったし、その「満たされ」が発生した時に見たのがフジロックだった。

 苗場には行ったことがない。ほんとうのフジロックの現場がどうなっているか分からない。ちょうどコロナ禍真っ只中だったし、地続きの場所でいままさにフェスがやっているんだと思うと興奮した。ロッキンが中止になったこともあって、当時フジロックの開催は物議を醸していた。

 暑さともコロナとも無縁の新しい部屋で見たフジロックは、どこか非日常めいていて、そう思うとフェスらしかった。

 引っ越しとフェスって、もしかしたら頭の中で同じ成分が放出されるイベントなのかも知れない。引っ越ししながらフジロックを見るなんて今後経験することもなさそうな組み合わせだ。

 でもきっと、日本のどこかで今日引っ越しをしている人もいると思う。新婚の友だちの部屋で、フジロックの配信を見ているだれか。

 1年前の自分を思い出していたら感慨深くなってしまって、フジロックを見始めた。奇妙礼太郎が観客とハミングのコールアンドレスポンスをしていて、確かにハミングなら飛沫も飛ばないからギリギリオッケーだよな、と思う。

 言葉は発せないけれど、音は出せる。なんだかそのパフォーマンスを見ただけでちょっと嬉しくなってしまった。

 1年経ってライブシーンも変化してきた。新型コロナウイルスの感染者はここに来てかなり増えているが、感染対策との折り合いをつけながらここまで来たという感じがする。

 友だちも結婚して1 年が経った。そういえばそうだよな、と思う。いまは「助けてやりたい」と思うこともない。「助けてやりたい」みたいな感情ももしかするとお祭り気分で湧いて出てきた感情だったのかも知れない。

 でもなんとなくすこやかだった。引っ越しを手伝って、フジロックを見ていたらすこやかな気分だった。解放された気がして、その時の感覚を思い出すとちょっと元気が出てくる。

 あぁ、フェスに行きたい。来週、ロッキンに行ってくる。去年と違うのはそこだ。自分にも行けるフェスがある。そんな気分でフジロックの映像を見ていられる。

 なんか雑然としちゃったけど、そんな気分。



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