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日記・くどうれいんさんを追って夕刊にたどり着くとYOASOBIが武道館に立っていた

 先ほど新聞屋で初めて新聞を買い、また新聞を探して東奔西走したのはこれが初めてだった。

 なぜ東奔西走したのか、理由はこれだ。


 僕がいまいちばん好きな作家のくどうれいんさんが今日の読売新聞の夕刊に寄稿した文章が読みたかった。

 ファンだから網羅的に読みたい気持ちも一部あるのだけれど、この「いっとう」という言葉を見て「読まねば」と決意した。

 というのも、先日くどうさんへ送ったファンレターにこの言葉「いっとう」を使ったのを思い出した。

 くどうさんの寄稿した文章がもしも「いっとう」という言葉の使用に難色を示す内容だったら僕はファンとして言葉遣いを改めねばなるまいと、その真偽を確かめたかったのだ。

 仕事を終え、最寄りのセブンイレブンへ読売新聞の夕刊を買いに行った。ない。スポーツ新聞と競馬新聞しかない。

 次。少し離れたローソンへ行く。ない。読売新聞は売っているが朝刊だった。「新聞 朝刊 夕刊 見分け方」と検索してしまった。いわく「新聞は朝刊が主のため、夕刊には夕刊と書いてある」とのこと。

 次。ミニストップへ行く。ない。こちらも無印の読売新聞、つまり朝刊が置いてある。

 思えば新聞の夕刊なんて読んだことも買ったこともなかった。そもそも夕刊はいくらなのか。400円くらいかと思って調べてみるとなんと50円である。

 安すぎる。安すぎないか。安いのは良いが安すぎるのは不安である。

 とにもかくにも、コンビニをしらみ潰しに回っても読売新聞の夕刊は手に入らないと分かった。こうなったら奥の手である。

 読売新聞に押しかけると意を決した。

 正確には読売新聞センターで、そこであれば夕刊が置いてあるそうだ。しかし時刻は夜の7時を超え、新聞屋とはそんな時間までやっているのか甚だ疑問であった。

 暗く閉ざされた建物を思い浮かべながら師走の混み合う道路に車を走らせる。これで新聞屋が閉まっていれば諦めようと腹を括った。

 曲がり角を間違えそうになりながら瞬時の判断でウィンカーを出す。新聞屋らしき建物の1階には明かりが見える。人影はどうだ。どうにか1人は確認できた。

 しかしこれは。バイクが何十台も並んでいる。明朝、朝刊を運ぶためのカブだ。僕は新聞は契約して毎朝配達してもらうものだと思い込んでいたため、飛び込みで来た一般人に夕刊を、それもたった1部売ってくれるのか定かではない気持ちになった。

 恐る恐る建物内へ入っていく。「読売新聞の夕刊の取り扱いありますか」。こんな心細い気持ちで聞くことなんだろうかと思って余計に心細くなる。

「ありますよ」

 回答はとてもあっさりとしていた。ぽん酢でいただく水炊きのように、大根おろしを乗せた肉料理のように、実にあっさりと夕刊が手に入った。

 もちろん1部50円である。しかもこれが税込で50円ときた。まるで大根おろしをトッピングしたような金額だ。水炊きをごちそうしたくなる。

 そして僕は無事にくどうさんの文章にありつけた。もちろん難色を示す文章などでは全くなく、「いっとう」という言葉はその他の強調を説明しようとする言葉の中でも特にその対象を輝かせてくれる言葉ということであった。

 ああ、良かった。とにかく安心した。それからくどうさんの作品へ「いっとう好き」と書いて良かったと温かい気持ちになった。

 今日のこの日記を書いている時にその夕刊のページを見ているとYOASOBIの写真が目に入った。武道館のライブの写真だ。どこでも話題になっているなぁと思って見てみるとその配置に驚く。

 なんとそのくどうさんの文章の下にYOASOBIの写真が載っているのである。なにを隠そう僕はくどうれいんさんと同じくらいYOASOBIが好きなのである。

 くどうれいんさんとYOASOBIが同じ紙面上に並ぶなんて思いもしなかった。もうこれはほとんど共演と言っても過言ではあるまい。

 こんな感動を50円で味わって良いものなのか。いやしかしこれは人生史上最高の50円の使い道だった。日本中の五十円玉の穴を全部埋めて百円玉にしてやりたい。

 いままでの新聞の中で今夜買った新聞がいっとう好きだ。師走に東奔西走するのも悪くない。



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