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治すというより、治る

今年の二月に、植物の調子が全体よくないとのことで土中の環境改善を施した庭の、その後の様子を今日見に伺った。

庭をつくる際には、土中の環境のこと、とりわけ水と空気の流れにいつも気を配って作業してきたが、あらかじめそうした造作がなされていない庭に、あとから治療を施したことはこれまでなかったので、果たして本当に効果があらわれるのか、施主はもちろん、私としても心許なく、なかばは賭けだった。

植栽はすべてマウンドをつくってなされていたので、まずはその周囲に溝を掘り、さらに点々と縦穴をあけてから、溝全体に炭(主には竹炭)を撒き、そのうえに剪定枝をしがらませてはまた炭を撒いて、仕上げに落ち葉をかぶせる。それから溝同様に、木々の根元にも点々と縦穴をあけては炭や枝葉をいれこむ。マウンド外は多くが砂利道になっていて、その下には防草シートが満遍なく張られていたので、これもできるかぎり剥がした。草取りの手間は余計にかかるが、手間を惜しんだために植物が育たないのなら、なんのための庭かわからない。

そうして約二ヶ月が経って、庭の木々は折柄、新芽新葉の季節を迎えていた。ここで成果が出なければこの先も厳しいだろうと思っていたが、去年の今頃とくらべて調子はどうかと尋ねると——

「去年はほとんど咲かなかった花がよく咲きました。葉の出方も、去年とくらべると明らかに違って、青々としてますね」

「本当ですか、それはよかったです」

「いやぁ、ヒタキさんを疑ってたわけじゃないんですけど、この変わりようには驚きました」

「正直、僕もそうです。今回のようなことだけじゃなくて、植物にはいつも驚かされるんです。種を蒔いたのは自分なのに、いざ芽吹いたら、それに驚く。この時期の新芽の勢いや色合いもそうで、庭師になった今でも毎年驚くんです」

私はこうしていつまでも植物に驚きつづけていたいと思う。そのためには、時に賭けに出ることもひつようなのかも知れない。本や動画で学ぶことは不可欠だが、それでも自然と対峙するということには最後いくばくかの賭けがつきまとう。
今回を皮切りに、植物を治す仕事、といっても直接治すというよりは、治るように環境を整える仕事を、日々の手入れの現場においても意識的につくっていこうと思った。


今回の庭の恢復の立役者となった竹炭は、秋月の松尾邸の敷地にある竹林の整備がてら野焼きしてつくったもので、竹炭をつくりつかうということはだから、二重に環境を恢復させる仕事になる。このことも、本や動画で知ってはいたものの、今回身体で覚えることができて本当によかった。
敷地をつかわせてくれた松尾さんと、ともに竹を切り野焼きを手伝ってくれたTにあらためて感謝を申し上げたい。

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