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お守り

いつから聴いてきたのだろうか。

子供の頃、家族と出かけた日曜日の帰り道。夕方の高速道路を走る車内で、流れてくるそれに耳を傾けていた。電波の向こう側では「爆笑問題」が何か面白そうなことを話していたが、何を話していたかは全く覚えていない。ただ一方的に聞こえてくる掛け合いが面白く、笑う両親を感じながらこれは”笑っていいやつ”なんだと思いながら眠りについていたことを思い出す。

ラジオは生活に寄り添う。が、家でわざわざ聴いたことはない。時に職場、時に車内、時に出かけ先のお店で流れている。別に聴こうと思って周波数を合わせた事はないが、気づくと耳に馴染んでいる。せっかくの有給を取った平日に、お決まりのCMやジングルが耳に入ると、「あ、仕事の時間だ」なんて条件反射で休日気分が吹き飛んでしまうのはよくあることだ。

唯一、周波数を合わせる番組が土曜日の深夜だ。とはいえ、規則正しい朝型生活である私はラジオの前で正座して待機するタイプではない。放送終了後の日曜日の早朝、夜明け前のランニングのお供に聴くのが常だ。夜と朝の隙間、二時間ズレた街を走ると、世界には私とパーソナリティーしかいない錯覚に陥る。

青春時代にはクラスの話題の中心となるような王道エンタメを必修科目としながら、同等同量のサブカルにも触れてきた。何を見て育ってきたかは人格形成に大きく影響する。生き方もど真ん中に憧れながら、カウンターとしてのポジションが落ち着く。しかし、ひっくり返しても真ん中はある。日向にも日陰にも輝く人がいることを知った上で、自分にはいったい何ができるのか。誰かと同じことはしたくない。手垢のついた箱は開けたくない。足跡のついた道は歩きたくない。適材適所に落ち着きたいわけじゃない。寄せては返す、根拠のない自信と強烈なコンプレックスに飲み込まれないように、すがる藁を今日も集める。

テレビの魔法が届かない世界では誰もが等身大であるような気がする。

変わってるとか、完璧主義者とか、どれも的外れではないが、どれも的を得てはいない。楽しいからやっているだけ。始める予定があったかなんて覚えていない。止める予定なんて考えたことがない。

いつから聴いてきたのだろうか。

全然覚えていないが、少なくとも10年は聴いている。聴いていた時期もあれば、聴いていない時期もあったと思う。たった一回の放送内容をいつまでも覚えていたり、何度も繰り返されるくだりに笑ったり。

気づけばパーソナリティーの放送開始当時の年齢に追いついている。自分の存在に疑問を抱き、生活し、社会に参加し、悩み、後輩ができ、結婚し、親になり…。ステージが変わるごとに「人間してんなー」という実体験をリスナーとして追体験していく。「これラジオで聴いたやつ!!」と時間差でしっかりと自分ごとになって返ってくる。だとしたら40代も楽しみで仕方がないけれど。

他の人がどのように聴いているかなんて考えたこともないが、妄想上のレジェンドリスナー(初回から正座して聴いているはず)に謙遜しながら、細く長く付き合ってきた。

『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』

そんなズレた世界を生き甲斐にする、よく似たリスナー達が5万人も集まった。開催発表からすぐさま書き込んだスケジュールを埋めることができた私も、東京ドームに馳せ参じた。

会場に近づくと、”ビタースイートサンバ”が聴こえ始め、ラスタカラーを身につけたリスナーが大勢いた。その瞬間にあの世界が繋がった。

当たり前だけど、ひとりじゃない。

音楽ライブよりも集合体としての繋がりが緩い気がした。5万人がいるけれど、どこまでいっても1+1が50000(配信含めると160000)なだけだった。なのに隣の人に対する不思議な安心感があった。同じ穴の狢。変なやつの集まり。集合体。アメーバ。話すことも、再び会うこともない信頼に値する5万人がいる。不思議と幸福感に満たされた。

「昨日のフリートーク聴いた?」

絶対に答えてくれるだろう。絶対に話しかけないけど。

ショーが始まれば、いつものラジオだった。体感する温度も速度も。
私は4回泣き、それ以外はずっと笑っていた。

彼らの登場で泣いた。
本当に実在するんだな、と素直に思った。大人になっても、見ただけで感動してしまうようなヒーローが自分の中にまだいることが嬉しかった。

あの日限りのゲストとのパフォーマンスに泣いた。
社会の歩き方を探していたあの頃に読んだ”ダ・ヴィンチ”。何を見て育ってきたかは人生の歩み方に大きく影響する。10年以上前から二人の交差点を目撃してきた。どこか他人事じゃないと思わせてくれる二人の歩み。その道があの日の東京ドームの花道に繋がっていたなんて誰が考えられただろうか。日向と日陰が表裏一体のど真ん中で歌う”Pop Virus” 。私にとってもバイブルで、人生で一番聴いている曲。あの日、あの時、あの場所だけの、あの二人の一夜限りのパフォーマンス。それを目撃できたことは奇跡と言っていいだろう。

奈落から迫り上がるセンターマイクに泣いた。
暗闇の底から這い上がる武器は、ずっと信じてこれたもの。ずっと信じていけるもの。これしかないと確信があるならば、絶対にやめない。

言葉を借りるならば”トゥース”な瞬間の積み重ねだった。
そんな一瞬をこれからも探していきたいし、私も作り出してみたい。

この指に止まる人を集めていこう。
一人より二人、二人より多くの人を巻き込んで。

人との関わりの数だけ可能性は増える。
素晴らしい取り組みも、面倒ないざこざも。
家族、友達、仕事、地域、どんな場面においてもきっと。

性格による一致団結はありえない。
気質ではなく目的が同じだからこそ、人は力を合わせて進んでいける。
歪な集団の中で、その身その心を削ってでも「やってみたい」が勝るのだ。

朽ちないお守りをもらった。絶望にそっくりな希望。
私もあのヒーロー達のようになりたいな。
求められるかどうかじゃなくて、やりたいからやってみる。
どこまで行けるかわからないけど、心躍り続ける限り。

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