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Review: 松江泰治「マキエタCC」 at 東京都写真美術館

とあるところに出したレビューがいい感じに書けた気がしているので、一部編集して転載します
(展示もう終わっちゃったけど図録も良かったです)

 暗い室内に、大判の写真がスポットライトを受けて四角く浮かび上がっている。そのなかの一枚、たとえば恵比寿から赤坂見附のあたりまでが映った、昼間とみられる鳥瞰写真にしばらく観とれていると、画面のところどころに、建物や道路を横切る黒くまっすぐな切断線があることに気づく。その瞬間、実在の風景だと思いこんでいたそれが、じつは精巧に作られた模型だったと判明する。はたして、わたしは一体なんの写真を観ていたのだろうか?

 松江は広大な風景を、完全な順光でよけいな影を隠し、むらなくピントが合うように撮影する手法で制作を続けている。この展示ではさらに「makieta」(ポーランド語で模型を意味する)というシリーズの近作が並び、上述のような本物と見紛う模型の写真が、現実を撮ったものと一緒くたに展示されている。模型の縮尺はときどき不自然に狂っていて、十字架の墓標と同じ大きさの落ち葉が画面上に共存していたりする。影のない被写体は不気味なほど色鮮やかで、そこにあるはずの重力や縮尺の感覚さえも消し去ってしまう。都市の風景からは行き交う人々や車の喧騒が消え、代わりに光だけが前面化する。結果、目に映るものすべてが見逃せないものとして観るわたしに迫り、知覚をざわつかせる。 

 展示作品は他方で、さまざまな写真史のパロディとしても成立している。撮影手法はグルスキーをはじめとしたベッヒャー派のマナーを踏襲しつつ、松江の場合、そこに模型の作品をなんの躊躇もなく並べるので、もうひとひねり効いている(ライトボックス風の展示照明はジェフ・ウォールさえ想起させるのでじつににくい)。それに被写体の物体としての特性を無化し、純粋な光に還元してしまう力は、およそ100年前に制作されたスティーグリッツの「等価物(Equivalent)」シリーズにも通じる。

 構えられたレンズ(作為)と、写り込んでしまったもの(自然)との緊張関係に触れることは芸術写真の面白みだが、松江が暴くのは写真のもうひとつの本性──被写体を現実から切り取り、まったく別のものに見せてしまう力である。本展示はそうした一筋縄ではない写真の素質を味わうのに最良の機会だ。


松江泰治 マキエタCC
2021.11.9(火)—2022.1.23(日)
東京都写真美術館
https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4031.html


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