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僕はいったい、この風景をあと何回見ることができるのだろうか。

大都会東京の街を照らす夕日が、また今日も沈んでゆく。
夕日が沈む時間にだけ見ることのできるこの景色は、
僕が一日の中で最も好きで、落ち着くことができる景色だ。
僕の夢の一つは、世界中にある、夕日が綺麗に見える場所から、
できるだけ多くの夕日を見ること。
今までたくさんの夕日を見てきたが、まだまだ世界は広い。
もっとたくさんの夕日をたくさんの場所から見たい。
夕日を見れる日には、毎回そんなことを考えている。

今僕は、東京に住んでいる。
東京という街は大都会であり、高層マンション、高層ビルなどがたくさんある。だから普通に街を歩いているだけだと、夕日が照らす綺麗な景色を見ることはほとんどできない。高い建物が夕日を遮ってしまうからだ。
でも僕は一つ、東京でとても綺麗な夕日を見ることができる場所を知っている。色々な場所に足を運び、東京から見える夕日をこの目で見てきたが、
この場所は僕の中で、ダントツの1位と言っていいくらい綺麗な夕日のスポットなのだ。

今日も僕はその場所に行き、夕日を見た。
綺麗だった。
昼間は見えない太陽の姿が、その存在感を存分に発揮し、僕達を圧倒している。太陽の姿を見ると、自然には勝てないんだなと思う。
それと同時に、僕たちは自然に生かされていて、そんな僕たちも自然そのものなのだと感じることができる。
太陽に照らされ、光り輝くレインボーブリッジ。そして太陽の光を反射させる、田町、豊洲に建てられた高層マンション。
その全ての要素が交わり、一つの風景になる。
僕はその風景に、毎回感動させられる。

僕はいったい、この風景をあと何回見ることができるのだろうか。
そんなことを目の前の風景に感動しながら考える。
毎日見に来れるわけでもない。というよりも、
たとえ毎日来れたとしても毎日来ることはないと思う。
でもこの風景を見ると、僕はいったい、この風景をあと何回見ることができるのだろうか。と思う。

綺麗なものを見ることは、人生において素晴らしい体験だと思う。
人生のあらゆる場面で、そしてあらゆる出来事の中で、何か素晴らしいものを得たり、何か素晴らしいことを体験したりすることも、素晴らしいことであり、大切なことであり、楽しく、幸せなことであると感じる。

その一方で、何かを得る幸せを感じると同時に、それを失う恐怖や不安が自動的に紐づいてくる。
綺麗な景色を見ることができた幸せ。
でもその景色を見ることができなくなる恐怖。
地位が上がり、収入を多く得ることができる人生になった瞬間に、
その地位や収入、お金を失う恐怖を、人間は感じる。
愛する人に出会い、結ばれたとしても、その人と別れてしまう、会えなくなってしまうことに恐怖を感じるのだ。

物事には、陰と陽がある。これは自然の摂理なのだと最近理解した。
光があるところには必ず影があり、影があるところに光は必ず存在していなければならない。僕はそのことに喜びを感じ、同時に悲しみを感じる。
じゃあ何も得ないほうがいい、何も感じないほうがいい、
そういう人生を歩むことのほうが、もしかしたら楽で幸せなのかもしれない。でも僕はそんな悲しいことが自然の摂理があったとしても、
陰と陽の両方を味わう人生を歩みたい。
なぜなら、今日も見ることができた風景に感謝し、感動したいからです。

それについて考えてみると、こういった結論になる。
綺麗と感じるその心は、綺麗ではないと感じるから存在する。
嫌いがあるから好きがあり、楽しくないがあるから楽しいがある。
人生の苦労、悲しみ、不幸といったものは避けられない。
いや、避けられないのではなくて、避けないからこそ、
豊かさ、嬉しさ、楽しさ、幸福を感じることができる。

人生って本当に辛くて苦しいことが多いなって感じます。
でも苦労や不運や不幸も、なんでもかかってこいとも思います。
なぜなら僕はそのことを経験すればするほど、その逆も経験することができるからです。

光があるところには必ず影があり、影があるところに光は存在していなければならない。
今日もこんな風景を見ることができた人生に感謝します。
ありがとう。

Ryoma Kobayashi

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