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「楽し都、恋の都、夢のパラダイス」”ソロの細道”Vol.13「東京」~47都道府県一人旅エッセイ~

沖縄人の私が初めて東京の地を訪れたのは、おそらく小学校の高学年の頃だっただろうか。

母親が東京の学会に出席するということで、ちょうど夏休みか何かだった私も付いて行って、母親が仕事の間に自由行動をさせてもらっていた。

今考えると、まだだいぶおおらかな時代とは言え、良く一人での行動を許してもらったものだが、「かわいい子には旅をさせよ」を地で行っていたのかもしれない。(かわいいかどうかは置いておいて)

こうした経験もあって、「東京は大都会で怖い」といって先入観も特になく過ごすようになり、その後高校生になると一人でネットのオフ会(当時はSNSはもちろんなかったのでBBS、つまり掲示板のオフ会)に参加して一人で関ヶ原まで出かけたり、ネットでお世話になっていた大学生を頼って東京に遊びに行ったりしていたので、当時においてはかなりませた学生だったかもしれない。

その大学生に連れて行ってもらったのが秋葉原と中野だった。今考えてもチョイスとしては上京してきた高校生を連れて行く場所としてどうか、と思ったりするけれど、そもそもがネットの歴史系チャットで知り合った縁もあって、「どうせこいつはオタクっぽい場所の方が好むだろう」と思われていたのだろうし、それはそれで正解でもあった。

もう25年くらい前のことなので、その当時の秋葉原はまだ”オタクの街”にはなってなくて、どちらかというと”電気街”が中心で、オタク要素は一部という形。

そういう意味では秋葉原の電気街の後に連れて行ってもらった中野ブロードウェイの方がオタク要素満載で、いろんなフィギュアをお土産として買って帰ったし、その時のフィギュアの一部は今でもまだ自宅に飾っていたりするし、その後の大学生活で一人暮らしの部屋にフィギュアが溢れたのは、今考えるとこのことがきっかけだったかもしれない。


さて、そんなこんなで大学進学にて千葉の柏に引っ越した私は、バイト代の多くを東京都内でのライブ代や書籍購入費に充てていたのだけれど、なぜあれだけライブに行っていたかというと、「東京は毎週見たいアーティストのライブがある!凄すぎる!」と感動したことから。

住んでいた柏から新宿や渋谷は山手線の沿線では最も遠い場所にもかかわらず、毎週のようにライブハウスに通っていた。

渋谷の屋根裏だとか、大好きだったブルーハーツの伝説の中で出てくるライブハウスに自分が毎回通えるなんて!と幸せな生活を送っていたけれど、その分大学の単位は悲惨なもので、この一年目の浮かれっぷりが結果的に最後の年の留年に繋がることになるのは、また別の話。

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正直、沖縄に居た時も色々なライブを見に行っていたのだけれど、好きなアーティストが沖縄に来るのは多くても一年に一度、見られないアーティストも多いわけで、そんな状況から東京に出てきて、毎日どこかで見たいライブがあるというのは、本当に感動する。

感動するのはそれだけではない。サッカーや野球、プロレスといったスポーツ観戦はもちろん、映画や演劇に落語や歌舞伎、美術館に博物館、水族館に動物園など、趣味や関心の幅の範囲で何でもある。もう無限に。

そして世界的にも誇れるようなグルメの街である。コロナ前は年間で数百店舗は外食していたくらい、楽しんでいた。


そう、私にとっては東京はまさに夢のパラダイスなのだ。

沖縄から関東に出てきてもう22年、そして東京に住み始めても17年になる。その間に同じタイミングで一緒に沖縄から出てきた仲間たちの多くは、色々な理由や事情があるものの、もう沖縄に帰ってしまった。

そういう流れもあって「沖縄には帰らないの?」なんてことを聞かれることも多いし、考えないこともないのだけれど、やはりこの無限に楽しみを追求できる東京に居ることの価値から、なかなかに決断できないで居るし、おそらく何もない限りはずっとそれは変わらないだろう。


確かに、東京という街に飲み込まれ、疲れ果てる姿をリアルでもドラマなどでも見るし、そうなることも理解できる。

だからこそ、この東京といかにうまく付き合えるか。いかにうまく楽しめるか。そしていかにうまく折り合いをつけられるか。それが全てかもしれない。

それが出来なくなった時こそ、私がこの”花の東京”を去るとき。いつまでもその時が来ないことを願いつつ、今日もまたこの街で楽しく生きている。


楽し都 恋の都
夢の楽園パラダイスよ 花の東京

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