見出し画像

「Bousou Friend」”ソロの細道”Vol.12「千葉」~47都道府県一人旅エッセイ~

2000年に沖縄から出てきた私が最初に住んだ場所が、千葉県の柏市だった。

当時は正直柏という街がどういう場所なのか全く分からず、「千葉の渋谷」というその時に言われていた謎のフレーズだけが独り歩きし、「チーマーだらけの街だったら嫌だなあ」くらいの感想を抱いたものだった。

実際に住んでみると、確かに繁華街ではチーマーのような存在はちらほら見かけたものの、そこまで治安が悪いという印象も無く、また柏駅を挟んで東口と西口でガラッと変わる雰囲気が心地良かったので、結果的に5年間住むことになったのも、今でも特段後悔はしておらず、どちらかというと最初から東京ではなく柏で住めたことは良かったとも感じている。

以上のように、私の大学生活は千葉県でほとんどを過ごすことになったし、5年間は千葉県民として生きていたので、千葉にはそれなりに思い入れがあるし、ふるさと納税では柏市に毎年わずかではあるが納税しているのもその感謝の気持ちから。

そして大学のサークルやゼミでの合宿ではよく外房や内房が選ばれていたし、周りに千葉県民もそれなりに居たので、千葉の色々な観光地に遊びに行くことも多かった。

つまりは、千葉は私にとってはいくつかある故郷の一つ、ということだろうか。


そうした千葉について何を書こうかと色々と頭を巡らせたところ、ある友人のことが思い浮かんだ。

最初に言ってしまうと、彼は今年の春に遠くへ旅立ってしまったのだけれど。

画像1


千葉県出身の彼と仲良くなったのは、10年ほど前の事。仕事で広島出張に行った私を出迎えてくれたのが、当時広島オフィスで勤務していた、会社の後輩にあたる彼だった。

広島と言えばお好み焼き、ということで「お好み村」という観光施設でお好み焼きとビールで乾杯。彼がビール好きということと、色々な趣味も合うこと、そして何より物凄く気が合ったこともあり、その後の親交が続くことになった。

彼は全国の営業所を転々としていたものの、その都度その土地土地で飲んだりしてだいぶ仲良くなったのだけれど、ここ数年は彼も東京で腰を据えたこともあって、毎月仲間と共に我が家でパーティーをしたり、都内の良いビアホールがあれば一緒に顔を出したり、様々な落語会に行って師匠たちの名演を堪能したり。

正にここ数年というくくりだと、最も一緒にプライベートを過ごした友人の一人だった。


そんな彼との最後の思い出が二つとも千葉県内での旅の思い出だったのも、何か意味があるのかもしれない。


まずはコロナ禍の前に何人かの飲み仲間と共に行ったのが、千葉県の銚子だった。

画像2

銚子には以前に一人で日帰り旅を楽しんだことがあって、絶品グルメが楽しめる場所や工場見学に灯台などの見所も多く、いつか呑兵衛仲間たちを連れて行きたいと思っていた。

それもあって彼も含めた6人の大所帯で再訪した。

朝イチに東京駅を出発して、特急で銚子駅へと到着。まずはヤマサの醤油工場を皆で見学したうえで、お昼は人気の食堂で海鮮メニューを皆で大量に頼んでシェア。

午後は銚子電鉄の乗り鉄旅。「地球の丸く見える丘展望館」で太平洋の絶景を楽しみつつビールを飲み、そして犬吠埼では灯台へ登ったり、当時出来たばかりだった犬吠埼テラスで銚子ビールを味わって。

そして最後は青魚専門の食堂でそのお店のメニューを全部頼むという”大人買い”ならぬ”大人頼み?”をして、大満足の日帰りグルメ旅となった。

画像11


そして彼との最後の思い出となったのが、昨年の10月。

コロナが少し落ち着いたタイミングで外房の千倉へ一泊旅行へ行けたことが、今となっては幸運だったと断言できる。なぜならその後にすぐまたコロナの感染が拡大したからだ。

前回の銚子への旅とほぼ同じようなメンバーでの旅行となった千倉への旅、その宿泊先に選んだのが”大人の秘密基地”というブランディングをしていて、その内容に我々がすっかりはまってしまった「THE CHIKURA UMI BASE CAMP」だった。

画像3

画像4

画像5


この施設が素晴らしくて、彼のテンションが上がりまくっていたのを今でも覚えている。

そして皆で食材を買い込んで、大きなキッチンで調理をして乾杯。本当に最高のひと時だった。

画像6

画像7

画像8


食事の後は火を囲んでのトークタイム。深夜までお酒を飲みながら、いろんなことを語り合った。なにせコロナの影響もあって直接会って話すのは半年ぶり。話すネタは尽きなかった。

夜の語らいが一段落ついて後片付けをしているとき、ぼそっと彼が言った一言、「また来年もここにみんなで来たいですね」という言葉が今でも忘れられない。

その言葉は実現することはもう無いけれど、千葉への旅をする度に彼との思い出が頭の中に浮かぶわけで、そういう意味では彼は千葉で生き続ける。

彼が朝に入れてくれたコーヒーの苦みと共に。

画像9

画像10


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?