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「氷の国で見た故郷」”ソロの細道”Vol.1「北海道」~47都道府県一人旅エッセイ~

南国である沖縄生まれの私にとって、雪は憧れだった。
そして日本の真逆の位置する北海道は、その雄大さもあいまって特別な場所だった。

そんな北海道の地を初めて訪れたのは、高校の修学旅行でのこと。
旅行先を決める生徒たちの投票で、「京都・大阪」を抑えて圧倒的な支持を受けたのは、我々沖縄の高校生にとっての憧れの地だったということも影響しているのかもしれない。

当時の同級生たちのうち、半分以上の生徒にとっては「初めて雪を見る」という体験となり、また8割以上の生徒にとっては「初めてのスキー体験」となったその修学旅行は、20年以上経った今でも同級生たちと時折話題になるくらいに、インパクトのある思い出となった。

そして何年も前に独り身へと戻った私は、よく一人旅をするようになったのだけれど、その行先に良く選ばれたのが北海道。ここ5年で4度も訪れている。この行動も、今考えてみればやはり昔からの憧れが影響しているのかもしれない。


流氷を見る旅への出発


北海道を最後に旅行で訪れたのは昨年の2月。正に世界が大きく変わる前夜ともいえる時期での訪問だった。

その北海道旅の目的は「流氷を見る」こと。日本で流氷が見られる北海道のオホーツク海、網走、知床、紋別という土地を巡る旅だ。

雪に憧れを持っていた私にとって、流氷なんて幼い頃であれば「夢のまた夢」といったくらいに現実感のない存在だったかもしれないが、その存在を確かめるべく、冬のオホーツク海へと向かったのだった。

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流氷は北海道のオホーツク海沿岸の地域にとって、貴重な観光資源だ。網走や紋別では流氷を見るための観光船が運行しているし、知床半島の斜里町では流氷の上を歩くツアーもある。

そんな中で今回の流氷旅のスタートを飾ったのが、「SL冬の湿原号」。釧路駅から標茶駅方面までの釧網線の一部区間を走るこのSLは、北へと向かう気持ちを高ぶらせてくれる。

SLならではの走行音や汽笛を楽しみながら、車窓から眺めた釧路川は凍結していて、その光景がこれから見ることになる流氷を想起させる。うん、出発にこの列車を選んで良かった。

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SLを堪能した後は、標茶駅から観光バスに乗り換えて更に北上を続ける。

途中、硫黄山やオシンコシンの滝などの観光地に立ち寄りながら、遂にオホーツク海沿岸へと突入すると、そこには沖の方に漂う流氷の影を見た。

どうやら流氷は例年より漂着が遅く、現段階では満足な流氷を見られないという。残念なアナウンスではあるが、事前に覚悟はしていた。思い通りにならないのもまた旅の醍醐味なのだ。

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流氷フェスで「氷の国」を堪能する

この日の宿は斜里町のウトロという場所にあるホテルだった。

ウトロの漢字表記は”宇登呂”。語源はアイヌ語で「その間を我々が通る所」という意味の「ウトゥルチクシ」だという。
ウトロにはオロンコ岩やローソク岩など特徴的な岩があり、それらの岩の間を通るということで名付けられたと言われているが、現在の北海道においてこのウトロは世界遺産にもなった知床半島へと旅立つための玄関口のようなものであり、「知床の大自然に触れるために通る場所」という意味合いも感じてしまう。

そんなウトロには温泉もあって観光船も出ていて、流氷ウォークツアーもあり、ホテルや旅館も点在している立派な観光地。そして偶然にも訪れたタイミングで開催されていたのが「知床流氷フェス」だった。

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「知床流氷フェス」は、地元の観光協会が主催しているイベントで、2017年から毎年1月から2月にかけて開催されているもの。
国設知床野営場の広大な敷地に、氷のアートや氷や雪で作った建造物が設置され、出店では温かい飲み物や食事を購入できるほか、氷で作られた「アイスバー」ではホットワインやホットウイスキーも楽しめるのだ。

こんな夢のような空間があるのかと、私は大いに飲んだ。そして酔っ払ったまま氷でできた滑り台を滑ったら、勢いがつきすぎて膝を強打して酔いが醒めた。

うん、旅には怪我も付き物なのだ。そして何より、ここは氷の国。夢の中のようなものなのだ。そう自分に言い聞かせて痛みと恥ずかしさをごまかす。

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それにしても幻想的な時間だった。この日は流氷は見られなかったものの、その分「氷の国」を堪能させてもらった。こうして初日は終わった。膝の痛みだけを残して。


「流氷物語号」で鉄道好きの聖地へ


二日目。ウトロバスターミナルから知床斜里駅へ。そして知床斜里駅から観光列車「流氷物語号」へと乗車する。

流氷物語号は、知床斜里駅から網走駅までを結ぶ冬限定の観光列車で、オホーツク海の海岸線を走り車窓から流氷が楽しめる。
オリジナルデザインの車両もかわいい。

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列車に乗って流氷を楽しめる。鉄道好きならたまらないシチュエーションで、私もとても楽しみにしていた。しかしこの日も流氷は着岸していないようだ。

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列車は、鉄道好きの間では”聖地”とも言われる北浜駅へと到着。ここで観光列車と別れ、下車する。

北浜駅は「流氷と一番近い駅」と言われている。そう、駅を降りたらすぐ目の前にはオホーツク海が広がっているのだ。

実際に、駅のそばにある展望台から見下ろすと、その距離の近さを実感する。ここに流氷が来ていれば、さぞ壮観なのだろうなあと感じてしまうのも少し寂しい。
そう、この日は流氷の姿さえも見当たらなかった。

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それでも北浜駅で下車した理由がある。それが「停車場」という名の喫茶店の存在だ。

「停車場」は、北浜駅の駅舎の半分を使って運営されている喫茶店。本格的な洋食メニューや季節限定のオホーツクラーメンが人気で、店内のレトロな雰囲気も相まって、わざわざこの駅で降りて次の列車までの2時間をこのお店で過ごす人も多いのだ。

私は、流氷を見られなかった悲しさを紛らわせるべく、温かいコーヒーを楽しんだ。
こうしてこれまで30年以上、多くの鉄道好きをもてなしてくれているのだと思うと、少しは気持ちも晴れる気がする。

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網走でやるせなさを紛らわせる


北浜駅から通常の列車に乗り換えて、終点の網走駅へと到着。網走では流氷を見るための観光船「おーろら」が運行している。

しかしこれまでの道のりの中で今日も流氷が見られないのではないかという諦めのような心持ちだ。そしてその想定通り、観光船は欠航していた。

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再びのやるせなさを、今度は船の上での網走ビールで紛らわせる。
「おーろら」は欠航した場合、船内は無料開放されていて、売店で購入した品物を飲み食い出来るのだ。これはこれで嬉しい。

本来なら流氷が見えていたであろう船の窓から海を眺めつつ、「流氷DRAFT」のブルーを楽しんだ。

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こうして、二日目は全く流氷を見ることが出来ぬまま、過ぎて行った。
翌日に備えて移動した北見で「北見焼肉」を堪能できたのが、最後の救いだったのかもしれない。


最後の街で、流氷と共に故郷への想いに触れる


最終日。始発列車で北見駅から遠軽駅へと移動し、遠軽駅からバスで最終目的地である紋別市へと向かう。

かつて存在していた紋別駅は、平成元年のJR名寄線の廃線と共に無くなり、それ以降は車でしか来訪できない地域となった。

そんな紋別でも、流氷のための観光船が運行されている。これがこの旅で流氷を見る最後のチャンスだ。

朝からの天気は良好。悪天候での欠航はなさそうだ。あとは風向き。これにより流氷が着岸するかが決まる。
北見から紋別への2時間半は、祈る気持ちで何度も運行状況を確認していた。そしてようやく、その祈りとこれまでの苦労(?)が報われたのだ。

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紋別が誇る観光船「ガリンコ号Ⅱ」。何とか乗ることが出来た時には心底ほっとした。「終わり良ければ総て良し」とは正にこのこと。はやる気持ちを抑えつつ、船へと乗り込んだ。

そうして遂に、念願の「流氷」と対面することが出来た。

ガリンコ号Ⅱの砕氷ドリルが、沖合の海面に浮かぶ流氷を砕いていく。その砕かれた流氷は、船窓からキラキラとした様相で流れるのが見えた。
そして沖合に延々と続く氷の層は、これこそ頭の中で思い描いていた流氷の風景そのもの。これが流氷、そしてこれが冬の北海道なのだ。

その瞬間に、幼い頃から抱いてきた北海道、雪国への憧憬が完結した気がした。完結、という言葉が正しいかは分からないけれど、自分の中では一区切りついた心持ちだったのだ。
そしてそれだけで、今回の流氷旅を行った甲斐があった気がする。

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そんな満足げな私に、最後の最後で素敵なプレゼントが待っていた。それは偶然にも開催されていた「もんべつ流氷まつり」でのことだった。

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「もんべつ流氷まつり」は、1963年に始まったイベントで、かつては海が閉ざされるということで歓迎されていなかった流氷を地域活性化に結びつけるべく考案された祭り。

毎年いくつかの氷像が制作され、様々なイベントと共に楽しまれているこの祭り。その今年のメイン作品が、私の地元である沖縄県那覇市首里にある首里城だったのだ。

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選定理由は、前年に焼失してしまった首里城の復興を願ってというもの。氷像の横には募金箱が設置されていて、多くの方が募金してくれていた。

通学路で9年間も毎日眺めていた首里城が焼失した時、私は涙が止まらなかったのだけれど、こうして沖縄から遠く遠く離れた、日本の端と端といってもいい場所で、故郷に向けられた温情に触れ、改めて目頭が熱くなった。


北海道と沖縄は、歴史上でも他の日本の都道府県とは違った背景を持つ地域。沖縄県民にとっての憧れは北海道であり、北海道民にとっての憧れもまた沖縄だとも言われている。

個人的な北海道への憧れ、雪への憧れ、そして流氷への憧れが生んだ今回の流氷旅の最後で、故郷への想いに触れることになるとは。

氷の国で見た首里城。

生涯で五度目の北海道への旅は、私の人生にとってとてもとても大切な思い出になった。
そしてまた、新たな憧れを持って北海道へと旅立つことだろう。

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