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「人だけが居ない街」”ソロの細道”Vol.7「福島」~47都道府県一人旅エッセイ~

ゴーストタウン、という言葉がある。

ゴースト=幽霊、タウン=街。直訳すれば”幽霊の街”となる。

日本においては、例えば長崎の軍艦島などのように炭鉱の町が役割を終えて廃墟となった場所であったり、かつては賑わっていた温泉街が廃れてしまってシャッター街となってしまった場所をイメージすることが多いだろう。

廃墟巡りという趣味もあることから、ネットで検索すると様々な場所が紹介されているが、近年で最も注目を集めているゴーストタウンは、10年前の東日本大震災で起こってしまった東京電力福島第1原発事故による、立ち入り禁止地区(避難区域、帰宅困難区域)ではないだろうか。

昨年、街の96%を占める場所が避難区域に指定されている双葉町の一部が解除され、合わせて「東日本大震災・原子力災害伝承館」がオープン。

その伝承館を見たいと、ちょうどオープン日に合わせて訪れることとなった。

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リニューアルされた双葉駅から伝承館までは歩いて30分ほど。駅前にはレンタサイクルも設置されていたけれど、歩いていくことにした。

到着した伝承館では、大画面のプロローグ映像から始まり、なぜ原発を誘致したかから始まるこれまでの道のりや、現在地元を追われた人々の暮らしぶりなど、原子力災害の現実を伝える施設としてとても興味深い内容だった。

感染症対策として入場人数の制限がされていたこともあり、開館日にもかかわらず逆にゆったりと見ることが出来たのは、個人的には嬉しかった。

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伝承館を見終わった後、行きで歩いてきた道をまた同じように戻っていたのだけれど、そこではっとした。


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そう、ここはゴーストタウン。数ヶ月前までは関係者以外は立ち入り自体が禁止されていた場所であり、現在でも一時立ち寄り以外の帰宅は禁止されているのだ。

改めて、往路では何も考えず(正確に言うとスマホで地図を見ながら)歩いていた時にはよく見ていなかった、周りをチェックしてみる。

すると、これまで気付いていなかった事実に気付いた。普通に看過していた道路わきの住宅に、人気が無いのだ。

先ほど思い出したこの町の事実を知っていればそれは当然だろう。けれど「ここがゴーストタウンだ」という意識をしていなければ、他の地域と全く同じ感覚で街並みを眺めてしまい、その事実に気付かなかったのだ。

それくらい、人だけが忽然と姿を消した風景だったのだ。


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よくよく観察してみれば、ところどころ窓ガラスが割れていたり、雑草が生い茂っていたりと違いに気付くのだけれど、部屋の中を覗いてみれば当時使っていたであろう子供の玩具が散乱していたりして、今にも人が出てきそうな雰囲気もある。

それが、この双葉町のリアルなのだ。

 【双葉町】町の総面積5142ヘクタールのうち、96%を占める約4900ヘクタールが帰還困難区域となっている。今年3月には、復興拠点のごく一部や避難指示解除準備区域など計約240ヘクタールの避難指示が先行解除されたが、町の総面積の4.6%にとどまっている。
 このため、町は復興拠点から外れた地域も含めた帰還困難区域の全域解除を求めている。伊沢史朗町長は、国が可能性を示している復興拠点の段階的な拡大では、「復興拠点の内外という分断が続く」と懸念を示す。
 町が注目しているのは、拠点外の農地の面積だ。復興拠点外の農地の面積は約530ヘクタールで、現在認定されている復興拠点の面積約555ヘクタールとほぼ変わらない。農地には民家が隣接している場所が多く、周辺の除染や家屋解体を組み合わせることで、原発事故前の主要な生活圏を取り戻す構想を描いている。(福島民友新聞より)

そう考えると、この伝承館の真の存在価値というのは、私のような見物客を集客し、施設までの道中でこの街の現実を体感してもらうことにあるのではないか。

正にこの日、私は原子力災害の怖さを痛感したように。


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この現実を目の当たりにし、恐怖感を抱えたままで、駅までの道を戻る。行きに見たのと同じ光景は、私にとって全く別の印象を与える存在となった。

放置されたままの自動販売機、荒れた薬局。

そして当時は希望に満ち溢れていたであろう原発誘致の際のポスターを強烈に皮肉った看板。

一つ一つの意味に気付けば気付くほど、怖くなってくる。

目を背けたくなるが、それは許されない。それがこの土地に足を踏み入れた部外者の義務だと感じた。


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完全にスルーしていた双葉駅の駅前も、廃墟となったたい焼き屋に、10年間放置されたままの駐輪場があった。


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その廃墟となった駅前と対照的なのが、リニューアルされた双葉駅。
しかしながらその新しい双葉駅から、この町の復興は始まるのかもしれない。

私のような来訪者を迎え入れ、そしてこの事実を見てもらう玄関口として。


「ふたば、ふたたび☆」

私がふたたび双葉町を訪れた時、どのような変化が生まれているのか。楽しみでもあり怖くもある。

一度この地を訪れた責任として、もう一度この地を訪れて、その変化を見届けたいと思う。


(おまけ)

JR常磐線は、原発事故の関係もあって長らく不通となっていたのだけれど、前述の通りの双葉町での立ち入りが許可されたこともあって、昨年3月に富岡駅~浪江駅間の運転が再開され、9年ぶりの全線開通となった。

今回の旅も、その常磐線を久しぶりに乗り潰そうという目的もあった旅だったので、富岡駅から浪江駅までの車窓を楽しむことが出来た。

合わせて富岡駅には東京電力の廃炉資料館があり、当事者となった東京電力がこの事故をどのように捉え、反省し、また将来を考えているのかを知ることが出来る。

この施設と共に双葉町や浪江町、大熊町を探訪すると、よりこの原子力災害を深く実感できるとのではないだろうか。

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常磐線の各駅に設置された放射線量の計測器が、何とも言えない気持ちにさせる。

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