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23年前、テレホーダイ時代に思ったこと。~"おうち時間"は時空を超えて~ 前編

1997年。今から23年前に、高校生になったばかりの頃、原因不明の体調不良に陥った自分は、夏の1ヶ月間、自宅療養をすることになった。今思い出してもなんでそうなったのか分からないのだが、とにかくこれまで小学校の高学年からずっと部活や塾に明け暮れていた身に、初めてまとまった”おうち時間”が思いがけず転がり込んできたのだ。
そう、正に今のこのコロナ禍で急遽リモートワークになって外出自粛の世の中になり、強制的に”おうち時間”を手に入れることとなったからこそあの頃を思い出してしまうのだ。
だからというわけでも無いが、このタイミング(とはいってももう間もなく"おうち時間"の強制は解除されそうだけれど)で、登録だけしてほったらかしていたnoteを書き始めようと思い立ったのだった。

23年前の"おうち時間"では、当時まだパソコン通信からインターネットへの過渡期だったタイミングだったのだが、その最前線であるネットのチャットにのめり込み、自宅で日中は寝ていられることをいいことに、ほぼ毎日夜中はパソコンの前に座っていた。
そう、当時は”テレホーダイ”の時代だったのだ。

「パソコンはこれからの仕事に重要だ」という教育方針を掲げていた我が家では、MS-DOSの時代から自宅にパソコンを買い与えられていて、当時主流だったジャストシステムの「一太郎」「花子」、そして「Lotus 1-2-3」を小学校ながらいじっていて、小学校を卒業する頃にはブラインドタッチをマスターしていたのだが、その思い出話と親への感謝はまた別の機会に。
思えばその時からの流れで、今のWebコンサルタントなんて職業を何とかこなせていると思うと、これも感慨深い。

話を戻すと、このように昔からパソコンを使いこなす小学生で、ゲームもフロッピーディスクの光栄(現コーエーテクモゲームス)の歴史ゲームをしていたくらいだったので、パソコン通信を少しかじり、そしてインターネットもちょくちょくと楽しむようになっていた。そして一時期何にはまったのかは忘れたが、インターネットを使いまくった時があり、その月の電話代(当時はインターネットは電話代として請求されていた)が6万円くらいになってしまい、父親にこっぴどく叱られたこともあった。だからこそ”テレホーダイ”に加入させられていたのだ。

テレホーダイというのは、今風に言えば”ネット回線の固定料金での使い放題プラン”で、当時風に言えば”深夜から明け方にかけてはいくらネットをしても料金は一律1800円”というもの。23時から翌朝8時までのいわゆる"テレホタイム”には、日本中の多くのネットユーザーがアクセスするので、その時間は急に重くなるといったことが日常だった。

当時の自分がのめりこんだのは、歴史好きが集まるチャット。当時歴史系のチャットは日本でも限られていて、数個あるうちの一つがそのチャットだったはず。夜な夜な大人たちがハンドルネーム(その多くは実際の歴史上の人物、特に戦国武将の名前を利用)を名乗り、様々な話をしていた。
最初はROM専(読むだけ)だったものの、我慢できず参加したのが23年前の夏だった。時間を持て余していた自分は、一ヶ月の間ほぼ毎日、23時にそのチャットにログインをしては、明け方まで居座り、日中に寝るという完全に昼夜逆転の生活を送っていたのだが、今思えばいい身分。まあ親たちもずっと自宅に居させなければならない分、少しでも気分が紛れるならと許容していたのかもしれない。

というわけで、これからその時の思い出話を少しずつ書いていきつつ、1997年から約5年間ほど書き続けたWeb日記をここで復活させたいと思う。
(後編へつづく)


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