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「浦賀・横須賀・大磯と明治の日本」”ソロの細道”Vol.14「神奈川」~47都道府県一人旅エッセイ~

泰平の眠りを覚ます上喜撰じょうきせん たった四はいで夜も寝られず

江戸時代末期に神奈川の浦賀に黒船が来航したときに、幕府の混乱ぶりを表す”狂歌”として詠まれていたこの歌を、教科書で見て覚えている人も居るだろうか。

実はこの歌、2000年あたりから教科書から削除されていたので、今の若い学生たちは見覚えが無いかもしれない。

なぜ消されていたかというと、この狂歌が示されていた史料が明治時代のものしかなく、「後年(明治時代)に創作されたものでは?」と考えられるようになったために非掲載となっていたのだけれど、実は2010年に発見された江戸時代末期の書簡にこの歌が掲載されていて、ようやく復活したという流れがあったようだ。

このように新史料の発見で教科書の記述が変わっていくというのも歴史の面白さで、定説を覆すような世紀の大発見を目指し、日本各地のプロ・アマチュア問わない研究家たちが頑張っているのかもしれない。


さて本題。

日本が大きく変わっていく明治維新、そしてそこからの富国強兵において、神奈川県が果たした役割は大きい。

特に、前述のようにペリーが来航した浦賀や、様々な戦艦が造船されたり日本発の灯台が建てられた横須賀、そして明治政府を担っていた要人たちの別荘が多数あった大磯あたりは、その明治の日本を感じるにはうってつけの場所だった。

そうそう、横須賀には明治日本の象徴の一つ、戦艦三笠もあるし、もっというと横浜という街自体が、明治時代の開国後に栄えた街なわけだから、そう考えると神奈川全体が明治と密接に関係があるとも言えるだろうか。

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さて浦賀と横須賀から話をしてみよう。

浦賀にペリーが来航したわけだけれど、実は実際に上陸したのは浦賀ではなく久里浜だった。

それもあって、久里浜には「ペリー上陸記念碑」が建てられているのだけれど、浦賀には実はペリーの痕跡のようなものは残っていなかったりする。

浦賀の駅から降りてすぐのところには、「浦賀ドック」がある。

江戸時代末期の造船所を元に明治時代に開設された、世界に4カ所しかない煉瓦造りのドックであり、戦後どころか年号が平成に代わって暫くは現役で造船を続け、18年前に閉鎖。

実は今年の秋からは観光ツアーが始まっていて、貴重なこの産業遺産を見ることが出来るようになった。

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私が訪れたときはまだそのツアーが始まっていなかったため、外から眺めるしかできなかったのだけれど、次回に伺った際には是非申し込みたいものだ。


さて浦賀からバスに乗り、観音崎方面へと向かう。

観音崎は東京湾の入り口に位置する岬で、江戸時代末期から昭和にかけて東京の防衛上で非常に重要な場所だった。
それもあって今でも明治時代の砲台や弾薬庫跡も残っている。

そんな観音崎には、日本初の洋式灯台である「観音崎灯台」がある。
灯台好きの間では有名な場所であり、聖地のような場所だ。

観音崎灯台が竣工された明治元年11月1日は、「灯台の日」に認定されていて、今でもその日前後の「灯台ウィーク」には灯台の入場料が無料になり、日本各地の主要な灯台で海上自衛隊の人たちが記念グッズを販売していたりする。

そして全国に16箇所しかない”登れる灯台”の一つでもある観音崎灯台は、明治日本の歴史を知る上でも、そして灯台の上から東京湾の絶景を眺める上でも楽しめる場所だろう。

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観音崎には灯台や砲台跡以外にも、横須賀美術館や観音崎自然博物館、観音崎海水浴場などもあり、横須賀市民の憩いのスポットになっている。


観音崎から再度バスに乗って、横須賀市の中心地へと向かう。

その中心地近くにあるのが、三笠公園。その名前の通り、明治日本を象徴する「戦艦三笠」が保存されている公園だ。


戦艦三笠は、日本海軍の旗艦を務めた戦艦であり、世界の海兵たちにとって伝説的な戦いである「日本海海戦」での活躍が知られている。

日本国内においてもNHKでドラマ化もされた「坂の上の雲」という作品でも登場しているので、三笠及び連合艦隊の総司令官を務めていた”アドミラルトーゴー”こと海軍大将・東郷平八郎と共に有名だろうか。

公園の入り口では、そんな東郷平八郎の銅像が出迎えてくれる。


三笠はというと、1905年の「日本海海戦」の同年に、港に停泊中の事故で一度沈没しているものの、その後引き上げられて修理されて復帰し、世界中を転戦して廃艦後は大正15年にここ横須賀で記念艦として展示されていた。

しかし戦後は荒廃し、多くの盗難に遭ったほか、キャバレーや水族館が艦内に作られたりと色々なことを経て、国内外からの保存活動の活発化があってようやく現在のような形での管理に落ち着くという、なかなか数奇な運命を辿り、今では「世界三大記念艦」として、横須賀市民に愛されているのだ。

艦内には現役時代のまま残る場所もあるが、色々なところが整備されていて、また至る所に最新技術を使った展示がある。

中でも私が非常に堪能できたのが「VR」のコーナー。日本海海戦を体験できるこのVRが良く出来ていて、正直かなり興奮した。

こうした観光スポットのデジタル化は、個人的に大賛成である。



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横須賀の他の観光スポットは最後に譲るとして、もう一つ紹介したい場所というのが「大磯」だ。

大磯と言えば「大磯ロングビーチ」で今は知られているが、明治時代には「政界の奥座敷」と呼ばれ、明治政界の重要人物たちがこぞって別荘を建て、それらの重要人物への相談で多くの人が訪れたのだとか。

そんな別荘の一部が、「明治記念大磯邸園」として整備されていて、見学することが出来る。

その庭園内には大隈重信と陸奥宗光という二人の著名な政治家の別荘が今でも残っており、見学しながら二人の業績を思い起こすことが出来るだろう。

残念ながら今は整備工事中で、どちらも中には入れないため外から眺めるしかないのだけれど。


そして残念ながら保存はされておらず朽ち果ててしまっているものの、この大磯邸園の近くには、初代総理大臣である伊藤博文の別荘が残っている。

記念碑が立っている以外は、中に入れないように封鎖されていて、外から見る限りだと少し寂しくなってしまうほど寂れているので、今後是非整備してほしいところだ。

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こうして、ペリー来航から洋式灯台の設置、造船所に日本海海戦の流れを感じさせる浦賀・横須賀と、明治政界に思いを馳せる大磯。

この二つのエリアを旅することで、150年前に今の日本の礎を築いた人たちの想いに触れることが出来るだろう。



補足

というわけで、横須賀や大磯の他の観光スポットを紹介しよう。

まずは浦賀。浦賀は「浦賀の渡し」が今でも利用されていて、数分間の船旅で対岸へと渡ることが出来る。

それを利用して「東叶神社」と「西叶神社」を一気にお参りしてしまうコースが人気だ。


また浦賀からは電車や車などでの移動になるものの、そのまま南下して行けば三浦市に入る。

三崎でのマグロ丼に、城ケ島公園、そして今年惜しまれつつ閉園した油壷マリンパークなどが楽しめた。

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横須賀市内となればもちろんご当地グルメを楽しめる。

横須賀海軍カレーはマスコットキャラクターも存在しているし、多くの老舗店が味を競い合っているヨコスカネイビーバーガーは、食べ比べも楽しめるだろう。

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大磯地区では、もちろん夏は大磯ロングビーチも良いが、歴史的な文化に触れるとすれば、昭和政界の重鎮である吉田茂の別荘を見学するのも面白い。

一度火事で焼失してしまって再建されたものなので、趣という点では欠けてしまうが、当時の趣向を凝らした調度品や建物は堪能できる。


また明治の文豪である島崎藤村が余生を過ごした大磯では、旧宅がそのまま保存されていて見学が可能で、また駅近くにはその藤村が眠るお寺もある。

その他にも俳句の聖地のひとつである”鴫立庵”などもあるので、文学好きにもたまらない。

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明治から昭和にかけての歴史の流れを感じる旅。神奈川ならではの旅だった。

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