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日記6:日々の読書

私の読書スタイルは、複数冊を並行して読むことが多い。

図書館へ行くと借りたいだけ借りてしまうので、10冊くらい並行するのは常。
カウントしたことは無いけれど、家にある本なら気が向いた時に読み進めたり、進めなかったり。

今は、2つの図書館から借りている状態なので、16冊並行している。
これはさすがにきつい。

ジャンルはバラバラで、物語、ビジネス、エッセイ、詩集、画集などなどその時の気分と興味で決める。
いっしょくたに借りて読むと、思わぬ所でリンクしていたり、アイデアが生まれたりする。その偶然性が楽しい。


今日は、「マチネの終わりに」を読んだ。2/3くらい。
マチネは、"午後の演奏会"という意味らしい。

先日、羊と鋼の森🐑を音楽に関する物語と知らずに読んだのだが、マチネの終わりにもそれと同じだった。

マチネは文章が🐑よりも堅かった。もしこれを読む前だったらマチネはリタイアしていたかも。

諦めずに読んでいたらこれまた非常に面白く、気づいたら没入していた。言葉選びも好きだ。堅い文章好き。

なんであの感覚をこうも明瞭に言語化できるのかな?と思う箇所がたくさんあった。


メモしたところの長い引用

若い人間の心には、肉体との境界のあたりに、頗る(すこぶる)可燃性の高い部分がある。ある時、何かの拍子にその一端に火がつくと、それが燎原の如く広がって、手がつけられなくなってしまう。その火に相手の心のやはり燃えやすい部分が焼かれてしまうと、2人はただ、苦しさから逃れるためだけにでも互いを求め合わなければならない。恋がもしそうしたものであるならば、土台、長続きするはずはなかった。その火は、どこかでもっと穏やかに続く熱へと転じなければならない。愛とはだから、若い人間にとっては、一種の弛緩した恋でしかない。その先に見据えられた結婚には、どれほどの祝福が満ちていようと、一握りの諦念が混ざり込まずにはいられないものである。

マチネの終わりに/平野啓一郎

本を読んでいて、意味を知らない単語に出会う瞬間が好き。
気が向いたら調べて、次に出会った時には顔見知りでいたい。チャンスがあれば使って、親しみを持ちたい。


明日また続きを読む。
映画になっているらしいので、いつか観れたらいいなあ。きっと素敵だ。

パリの街の描写がでてきた。youtubeでパリに住んでる方が生活をみせてくれるチャンネルがあるのだけど、それも久しぶりに観たくなったなあ。

最近はしっかり読みたいモードになることが多くて、地名やその土地の料理が出てきたら、画像や動画を調べている。


人からおすすめしてもらった作品は意識して、早めに鑑賞している。
最近では、「今宵も喫茶ドードーのキッチンで」を読んだ。もう何週間か経つけれど。
これについてはちゃんと感想書きたいなあと思いつつ、まだ出来ていない。


出来てないことを拾い上げて焦る癖は一生続くんだろうか

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