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みんなが、音に色を感じてるわけじゃないんだね

ミ♭の長調の音階は、シャインマスカットのように澄んだ黄緑色。ファの長調の音階は、ふんわりしたオレンジでセーラーヴィーナス(セーラームーンのキャラクター)のような明るい感じ。ラの短調は赤と黒が入り混じっている感じ。ドビュッシーの「花火」という曲は音を使って絵を描いているようにしか思えず、曲という感じがしない。音を絵の具の代わりにしていると思っている。

…といった感じで、それぞれの音やハーモニーや音階に色の印象を漠然と抱いていて、みんな言葉にしないだけで同じことを感じているのかと思っていたが、そうではないことを知った。

Google先生で調べてみたら、共感覚というらしい。そして音に色がついている感覚を持つことについては「色聴」という呼び名がついているらしい。正直、自分はこれに該当するのかどうかさっぱり分からないし、なんだかんだいって他の人も音に色を無意識に見出しているんじゃないの?と思ってしまう…

お酒を飲むと色づきが鮮やかになる

このことを調べていて気づいた。お酒を飲んで音楽を聴くのがとても好きなのだけど、お酒を飲むと音楽の色づきが鮮やかになり、多幸感に包み込まれることが、ある種やみつきになっているということに。

小さな箱で耳がちぎれそうな大音量のなか、鮮やかなストリングスが聴いた音楽やテクノミュージックを一晩聴き明かすのが好きだったのは、こういった特性も原因の一つだったのかなと思った。同じような理由で、晴天の下で音楽を聴くフェスも好き。

…けっこうクラブとかフェスとかに行って楽しんでる人が多いのは、色聴とまではいかなくても音から何かを感じ取って、自分と同じような感覚を感じているからじゃないのかな?と思ってしまう。他人の感性は自分と同じであることを信じてやまなかったから、すこし混乱している。

自分とおなじ事を他人が感じているとは限らない

何故こんなことを書いたか? 友人と会っているときにお店のBGMを聴きながら「この音階ってこういう色って感じするよね?」という話をしたら、「え?色?曲を聴いて思い出が蘇ることはあるけど、色は特に…」という反応だったから。

自分が当たり前のように感じている事を、他人が感じていないことに驚いた。おなじ人間だし仲良しだし、無意識に同じような感覚で生きていると信じていた。自分はどこまでも自分で、他人の考えていることや感じていることなんて本当はまったく分からないものなんだなと感じて、少し寂しくなった。

そして、かつて自分たちのご先祖様は、分からないけど分かりあいたいと思ったから、言葉というものを生み出したのだなと感じた。言葉を使うことが当たり前すぎて忘れていた。だから「言わなくてもわかる」と思っていると、コミュニケーションの齟齬が発生してしまう場合があるんだな…と全く関係ないことをしみじみ考えた。

共感覚を書いてるnote記事

ぺたり。

おわりに

どこかで「おなじ人間だし、言葉にしなくても感覚で分かってもらえるでしょ」と信じてきた。だけど今後は、自分にとって当たり前のことでも、しっかり言葉でちゃんと伝えていこうと思う。言葉のある社会で生きられることへの感謝を込めて。


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