よくあるパターンだった

カウンセリングを受けた。自力では解決できないアプローチで、自分の生きづらさを具体化してくれる。餅は餅屋だなと強く感じるから、もっと早く頼ればよかったと思う。

今回、感情を認識することがド下手であることを認識した。一度怒りの感情がわいてくると止まらなくなってしまったのは、感情の認識が下手ゆえにため込んだ状態で噴火してしまうだけだった。(10代の頃に親と口論になり話が通じない悲しさが閾値を超えると、家の皿という皿を割りまくったり布団を投げまくっていた。我ながら怖い)

この事実と共依存傾向な精神構造であることを自覚したことで、「人の期待に応えること」で自分自身の存在理由としている節があることを(ようやく)自覚した。自分の身近な人の期待に応えて「すごい!」「ありがとう!」と言われることで、自分に生きている価値があるんだと思えた。期待されたことに応えないと生きている価値がない(死ななきゃいけない)と無意識に思っていた。

だから。周囲から期待されていないと感じたり、何かを期待されるような人間関係そのものが消滅すると「理由はわからないけどしんどい」となりがちだった。面倒なことが多いと頭でわかっていても、距離感の近いコミュニティの中でウェットな人間関係を作りたいと思うことがあったのも、実は「些細なことでいいから役割やキャラを期待されて、その通りに振る舞うことで自分自身の価値充足を感じたい」という下心ドリブンであることを理解した。

大学の頃に友達がうまくできずに抱えていた消化できないドロドロした気持ちも、「自分はいま誰にも期待されていないんだ」「誰からも承認されていないんだ」という事実を受け入れたくなかったから苦しんでいた。それを受け入れるということは、自分の存在理由がなくなってしまい「死ね」と言われていることに等しかったからだ。

他のことで「頭ではいけないと分かっているのに、どうして心惹かれるのだろう?」みたいなことは、大体この理由をもとに分析すると腹落ちすることばかりであった。原因が言語化できるだけでいろんなことが急にクリアに自覚できるようになり、驚いている。

・・・そしてこれ、完全によくあるパターンだと思う。自分はこんなに陳腐なことが原因で悩んできたのかと思うと拍子抜けする。こんなことで人生ずっと悩んでいたなんてアホらしい。だから自分はこんなアホらしいフェーズからとっとと抜けようって思える。今回はプロが一緒なので、確実に改善するだろうという希望が見えており頑張ろうと思える。

「期待に応えたい」という気質自体は使い所を間違えなければ良い資質だと思うので、仕事はこの資質の良い面が出るよう調整しつつ、悪用してくる人への防衛策もいっしょに考えようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?