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見返りが欲しかった

某SNSでお悩み相談投稿している人がいたので、自分が持っている知識や経験で何かギブできるかなぁと思って、つらつらと返信した。

しかし、投稿主からは特にリアクションも無く、お礼を言われることもなかった。さらっと別の人の話に食いついていた。「どうして、ひとことくらいお礼を言ってくれないの?」と内心少し腹が立った。

なんで腹が立ったのだろう?

こんなことでなんで腹が立つんだろうと考えた。

「相手にいいことをしてあげたから、きっと相手からお礼を言われるに違いない」と思っていることに改めて気づいた。”自分の時間をしっかり使い、あなたのために頑張った”ということに対しての承認の意味合いで「ありがとう」と言って欲しかった。

また、自分の書いた内容へのフィードバックが欲しかった。参考になったのか、ならなかったのか。分かりづらいのか、分かりやすいのか。何かしらリアクションくれればいいのに…と思った。相手が沈黙による意思表示をしているかもしれないのに答えを求める、ストーカーみたい。

この2つに共通することは、「あなたの発信には価値がありますよ」という反応を期待していたことだ。ただし、実際はあっさりスルーされた=価値がないとみなされた=ひどい、と解釈してプリプリしてしまった。

今後、どうしていこうかな

対応をいくつか考えた。

1.困っている人へなにかを伝えたり助けたりするときは、自分が無理のない範囲で行う。自分が必要以上に何かを犠牲にした感覚を持つ場合、今回みたいに「(こんなにxxしたのに)お礼を言わないなんてひどい!」と、相手に見返りを求めてしまう。

2.人に何かをするのではなく、自分に対しての行動で「自分には価値がありますよ」と思えることをコツコツ行なっていく。今回は他人に自分の発言の価値判断を委ねてしまう形となっていたため。自分で「自分の発言すごいよかったよ!GJ!」とご機嫌とりをする。

これを書いていて、人に価値判断を委ねてしまう心の癖を再認識した。人に依存しないの難しい。

おしまい

無償のギブの精神が欲しい。


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