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むかしばなし(まえのかいしゃ)

かつて所属していた会社のはなしとなる。慢性的に人手不足だったので、素直な若い人か即戦力なら誰でも採用していた。本当に”誰でも”採用していた。社風という社風がなかったので、本当にいろんな人がいた。同じ部屋にたまたま居合わせた人たち、という表現のほうがしっくり来るような会社だった。満員電車のような感じ。誰も帰属意識を持っていなかった。

いろんな人が働いてきた分いろんな「べき論」を持って仕事をしていて、会社としては成果を出せばどんな「べき論」でもいいですよ、というスタンスだった。裁量を持ち、実力のある人が自分の想い通りに仕事をするにはちょうど良い場所だったのだと思う。

ただ、あの会社が欲しがるような人材は、前の会社にはもう来ないだろう。かつて栄光を極めていた頃はすごくできる人がたくさんいたようだが、その頃の求人を見たら提示している給与が今の求人の1.5〜2倍だった。自分が入社した時には、普通の人をそこそこの給与で雇い、チームの力で仕事をしていく会社へ変わっていた。

仕事の「べき論」が宗派みたいになっていて、社内で仕事のやり方についての宗教戦争みたいなことが静かに起きていた。ざっくり分けると、力技「べき論」派vs理論「べき論」派だった。どちらが正しい・間違えているとは思わなかったが、受けている仕事の性質と当時の会社のリソースなどを考えた場合は、いくつか安パイなやり方があったんだろうなと思う。

そしてその安パイなやり方というものは理論化しているはずなんだけど、力技「べき論」の人たちはそういった理論に頼らず、力技でエイヤ!と作業を進めていた。突貫工事、というのか。そして、毎回仕事がうまくいかなくなり、さらに力技でどうにか凌いでいた。スピード感のある対応はとても上手だったなと思うし、自分はスピード勝負の仕事が苦手だったので素直にすごいなと思っていたけど、毎回似たような失敗を繰り返してお客様に迷惑をかけるのはちょっとなぁ…と思っていた。

理論的な「べき論」を掲げる人たちは少々細かかったけど、お金をいただいたお客様へ一定の品質で満足いただけるサービスを提供するという観点では、理論を学びPDCAを回すサイクルを作るほうが良いなぁと思った。天才型なら理論なしで仕事できるんだろうけど、凡人の集合体である組織の場合は理論を身につける事が先決かなぁと。

そして、力技「べき論」と理論「べき論」は静かなる激突をしばしば行い、理論「べき論」者がどんどん会社から流出していた。力技「べき論」派閥が悪いとは思わないのだけど、やっぱりお客様へ迷惑をかけるような仕事のやり方をずっと繰り返してしまうという点は微妙だなぁと思った。(そのわりには社内で幅を利かせており、これが社内政治の勝利なのかぁと思った)

仕事しながら組織をぼーっと見ていて、「スーパーマンたちの集合体で回っていた組織のやり方を踏襲し、凡人達の集合体の組織を運営したら、組織はだんだん血の巡りが悪くなってしまうのだな」と感じた。じゃあ私に何ができたかと言われても分からない。離れた目線で無責任な第三者目線で思い出してここにつらつら書いているだけ。下っ端だったし。

次に就職する場合は、”凡人の集合体でも高品質な成果が出せる仕組み”自体への理解のある会社へ入れたら良いなと思う。自分は圧倒的凡人だから。天才は天才が求められる裁量の大きな会社に行って、花を咲かせてたくさん社会へ良い影響を及ぼしてほしいなって思う。適材適所。

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