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放牧育児ができるまで

私たち夫婦の育児の基本スタンスは「放牧育児」だ。
長女が生まれる前から「子どもは放牧して育てよう」とは言っていたものの、その言葉の意味を自分なりにちゃんと定義できたのは、やっぱり実際に育児を経験してからだった。

遡ること2013年。長女妊娠中だった私は、いわゆる「自然派志向」な生活を送っていた。 私にとっては以前からの関心事だったけど、妊娠を機に「どこまでストイックにできるだろう?」と、半ばゲーム感覚で「自然派にこだわること」を楽しんでいた。
当時の主な仕事は代替療法系の協会理事だったし、 そういった情報がごく身近に溢れていたことも影響していた。横浜市内に住みながらも北関東や東北産の野菜は出来るだけ避けていたし(正直スーパーで避けるのは難しく、宅配業者頼みだった)、身体に入れるのは浄水器の水ではなくミネラルウォーター。家に電子レンジはなかったし、動物性食品の摂取もかなり減らしてセミ・ベジタリアンのような食生活を送っていた。片道40分掛けて助産院まで検診に通っていたし、 産後は布おむつと完全母乳が当たり前だと思っていた。

そして9月14日に、3,410gですこぶる元気な長女を出産。無事に助産院での「自然なお産」が叶い、自然派育児スタートだ!と意気込んでいたものの、私はいきなり壁にぶち当たった。母乳が出なかったのだ。母乳があまり出ない人もいるとは聞いていたものの、それなりに身体を気遣って来た自分がまさかそんな事態に直面するとは1ミリも思っていなかった。
母乳の出を促すハーブティー、根菜、お餅など良いと言われるものは毎日摂ったし、助産院の母乳相談にも何度も通った。それでも、出ない。長女は産後すぐからとても食欲旺盛で、ポタポタ垂れる程度の私の母乳だけではとうてい満足しなかった。私はiHerbで海外製のオーガニックな粉ミルクを個人輸入し始めた。母乳だけで育てられないということに相当滅入っていたので、良質な粉ミルクの存在はまさに心の支えだった。

長女はそんな私の胸中など知らぬ顔で、毎日哺乳瓶でグビグビとミルクを飲み、順調に育っていった。そして生後一ヶ月半という早い段階で夜8時間連続で寝てくれるようになり、私の気力体力もずいぶん回復した。
その時点でまだ母乳育児にこだわっていた私は、助産師さんの勧めもあり桶谷式の母乳育児相談室に通い始めた。しかしそこで言い渡されたのは「(母乳に比べて消化の悪い)ミルクを飲みすぎて胃もたれして、疲れて一晩寝ているだけだから、寝る前のミルクを減らしなさい」という指示だった。そうすればお腹が空いて2,3時間で目を覚ますはずだし、 例え寝ていても起こしておっぱいを飲ませなさい、と。 桶谷式の基本方針は「授乳間隔は一日中2時間おき」のようだった。

出来るものなら「自然な」完全母乳で育てたい。でもそのために、放っておけば一晩寝てくれる娘を無理やり起こすことは果たして「自然」なのだろうか・・・。計算では一晩の間に3回起こさなければいけないけれど、そんなことは到底できそうになかった。せめて1回くらいはと思い何とか起こしてみるものの、長女はおっぱいにほとんど興味を示さないまま、ミルクをグビグビ飲んで眠るだけ。これ、わざわざ起こす意味なくないか・・・?
母乳を分泌するホルモンは夜間授乳の刺激によって作られるのだから、夜に飲ませないと母乳は増えませんよ、という理屈はわかる。が、目の前の娘はお腹いっぱいに飲むことを望んでいるし、私も自分の睡眠時間を切り刻んでまで母乳育児に取り組みたいかと言われると、はっきり「NO」だと感じた。自分の母性の少なさを初めて意識するようになったのはこのときだった。
それでもしばらく桶谷通いを続けたものの、三ヶ月ほどでついに挫折(今思えばよく三ヶ月も時間とお金を費やしたものだと思うけれど)。そしてその後間もなく歯が生え始め、授乳時に噛まれるようになったのを機に、あっけなく卒乳を迎えた。長女は生後五ヶ月で自分の手で哺乳瓶を持ち、飲み終わると同時にそのまま寝落ちするような自立心のある子どもだった。

一方産前から用意していた「布おむつ」についても、結論からいうとすぐに断念。完全母乳なら手間も少ないし、布おむつの交換も頑張れるはず!と思っていたものの、実際はどんどんミルクの需要が高くなる日々。いただきものの布おむつが山のようにあったけれど、それに手をつけることもないまま、これまたiHerbでSeventh GenerationやEARTH'S BESTといった自然派ブランドの紙おむつを個人輸入して使い始めた。一度も布を使わないのも何だしと思い、数回試してみたものの「これは私には続けられない」 と早いうちに諦めた。 布おむつはとにかくこまめに変えないといけないし、変えたあとには当然洗濯が待っている。 妊娠前まで布ナプキンを使っていたので、たいして手間は変わらないだろうと思っていたけど、実際やってみると「私にとっては」想像以上に負担が大きかった。
自分の布ナプキンの手間は惜しくないのに、なぜ我が子の布おむつだと負担に感じるのか。自己中なだけではないのか、娘に対する愛情が足りていないのではないか・・・。続けられない自分を責めるようなマイナスの思考が、しばらくぐるぐると渦巻いていた。

夜間授乳にしろ布おむつにしろ、自分の時間を犠牲にして・・・いやそれを犠牲とさえ思わず、我が子に対する愛だと思って献身的になれる人は、私からすると「母性が豊かな人」だ。それが出来ない私は確かに「母性が少ない」のかもしれない。でも母性が多い少ないという「個人の性質」と、愛があるとかないとかいう「感情」は全くベツモノなのではないかというのが、葛藤や挫折を経て私なりに出した結論だった。
同時に「自然であること」にこだわってきたけれど、たくさんミルクを欲しがる娘に少量しか与えないことや、夜眠っているのをわざわざ起こすことは「私と娘にとって自然ではない」。それでも母乳にこだわるのは単なる親のエゴなんじゃないだろうか、と。

母乳が出ない自分、母性が少ない自分。それを心から受け入れるまでにはやはり時間がかかったけれど、一旦肯定してからは「じゃあどうするか?」と発想を転換した。
新生児育児の期間中、私のように授乳について深刻に悩む人は少なくない。それはきっと、我が子の命に直結することだからだろう。授乳しなければ赤ちゃんはすぐに死んでしまう。今は人工乳(ミルク)というスグレモノがあるけれど、それがない時代はどうしていたのだろうか。私のように母乳が出ない、ある意味「致命的な体質」の遺伝子が、長い歴史のなかでなぜ自然淘汰されずいまだに種として存続しているのだろう・・・(私の母も姉も似た体質なので、遺伝の要素もあるだろうと推測)。

そんなことに想いを巡らせると、 昔は「もらい乳」「乳母制度」があったのだと気がついた。母乳が出なくて困る人もいれば、出すぎて詰まって困る人もいる。群れで、ムラで集団生活を送ることで需要と供給のバランスがうまく保たれていたからこそ、母乳が出ない人の遺伝子が残ったのではないだろうか。そこで「ヒトは本来群れで暮らす生き物なのだ」ということを確信した。
核家族なんて、天敵がいない、自然災害から身を守れる、社会情勢が安定している、などのごくごく恵まれた時代・・・ おそらく戦後のたった数十年しか歴史のない生活形態だ。それ以前はじいちゃんばあちゃん、親戚、ご近所の人たちとわちゃわちゃっと暮らしてきたはずで、その群れのなかで母乳が出ない人の代わりにたくさん出る人が二人分の母乳を与えた(それが乳兄弟) からこそ、みんな育つことができたのではないか・・・。 つまり「たくさんの人に愛情を注いでもらって育つこと」こそが自然な育て方なのではないだろうか。
うちも核家族ではあるけれど、家の中で母と子が二人きりで向き合うなんて状況の方がよっぽど不自然で、本来のヒトの生態や歴史からすると相当イレギュラーだとしたら? 母性豊かな人なら自然・不自然を意識することなく、その状況を楽しんで子育てできるかもしれないけれど、 私のように母性が少ない人は周りに積極的に育児に関わってもらい「足りない母性を周りに補填してもらおう」くらいの気構えでいる方が、子どもにも私にも良いに違いない、と。

ここに来て好都合なことに、ミルクで育てていると他人に子どもを預けやすいという利点がある。横浜に住んでいたときは両家両親ともに遠く離れていたので、家の近くの託児所を積極的に利用した。長女が1歳を過ぎた頃に横浜から大阪に引っ越すことになったのだけど、その引越し作業時には飛騨高山の義両親に長女ひとりを一週間預けっ放しにする、ということにも難なく成功した。大阪に住み始めてからは毎月二泊三日で私の両親に長女を預けるようになり、2015年に次女を出産したときは、両家両親が交互に自宅に泊まり込んでくれ、長女や私を温かくサポートしてくれた。

そんな環境ですくすく育った長女は「おおさかのおうち」「たかやまのおうち」「にしのみやのおうち」と自分には3つの家があると思っているし、じーちゃんばーちゃんの名前が日常会話に出て来ない日は一日だってない。実際は核家族だけど、気持ちのうえでは拡大家族なのかもしれない。保育園にも仲良しのお友達や可愛がってくれる先生がたくさんいて毎日本当に楽しそうだし、「この世界は楽しいな」「この世界には自分を愛してくれる人がたくさんいるんだな」と思って育ってくれれば、私たちの思う放牧育児は大成功だ。同じイタズラをしても怒る大人と怒らない大人がいるんだなとか、親だって間違うし別に完璧な存在ではないのだなということも、何となく感じていてもらいたい。

そのために私がしていることと言えば、両親や保育園の先生に、気持ち良く娘たちを預かってもらうための根回しくらいだ。信頼して預ける以上は、細かいことに口を挟まず相手がやりやすいように配慮する。何か手を焼いていることはないか時々ヒアリングして、解決できそうなことはこちらで解決しておく。娘たちには「ありがとう」や「ごめんなさい」がすぐに言えるように習慣づける。その甲斐あってか、娘たちはどこにいっても人気者だ。

ここに書いた放牧育児論は、私自身の母性の少なさを都合よく正当化しただけかもしれない。 でも、私に都合が良いならそれで良いじゃないか。育児なんて、正解がないものの最たる例だ。世間的な正解ではなく、自分たち家族にとっての正解を見つけていく過程に意味があるのだし、どんな育て方をしたところで良い面と悪い面は必ずどちらも生まれる。娘たちに確実に教えられるのは、そのどちらにフォーカスするかは自分で選べるということくらいだ。

4歳の長女は3月に開催される、保育園主催の北海道キャンプへの参加を熱烈希望している。本来参加資格は5歳以上なのだけど、先生たちも「◯◯ちゃんはしっかりしてるから絶対に大丈夫だね!」と太鼓判を押してくれ、参加が叶いそうだ。六日間も親と離れることに何の不安も感じていないのは放牧育児の賜物だね、と夫と二人で頼もしく感じている。
 

この分なら、長女が親元を飛び立つ日もあっという間にやって来るのだろう。放牧育児は子の親離れだけでなく、親の子離れにも効果があるのかもしれない。


【追記:続編的なものを書きました】


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