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GOGH LANDという名前の由来(物理法則完全無視の演出系ショークリエイトメタバースSNS開発記)

このプロジェクトは、僕のエゴと怒りからきているのかもしれない。

信じている自分の価値を、世の中にねじ込むためのルートは世界を見渡してもまだまだ少ない。あってもプラットフォームの意向で表現の幅が結局は制限されている。評価される表現をプラットフォームが決めているわけだ。評価される型に自分の表現を捻じ曲げてしまえば、それはもう純粋な表現ではないし、その時点で量産型であって価値はやがて下がり始める。

表現者の理想的立ち回りとは

アーティスト(表現者)は、一過性の評価に一喜一憂してはいけない。あくまで自分の中に渦巻く感情や思想やイデオロギーを、自分の納得する表現として昇華する旅を続けるべきだ。

なのに何故捻じ曲げた表現を迎合するのかといえば、そうしなければ食っていけないからだ。

フィンセント・ファン・ゴッホという画家がいた。彼は圧倒的色彩感で世界を観ていた。それを絵画として表現するも評価されずに死んだ。死後に評価されることになるが、死の間際まで自分の純粋な表現を追求できたのは、弟のテオドルス・ファン・ゴッホがいたからだ。家族からも見放されたフィンセントの生活を助け画商も務めた唯一の理解者でありファンだった。

この物語に自分の人生をなんとなく重ねてしまった。
僕の物語はこちら👇

生きることが守られて、表現を追求できるならアーティストはそれが音楽表現にしろ演劇表現にしろ話芸表現にしろどんな表現でも唯一無二を追及すべきだと思う。そこに評価を追いつかせるべきでその逆ではダメだ。でもだからといって、死んだ後に評価されるんじゃダメだ。

存命中に隠れた才能にスポットライトを浴びせる

そんな想いが「存命中に隠れた才能にスポットライトを浴びせる」ことをビジョンになったのかもしれない。スポットライトを浴びせて、その後の表現人生をサポートできるエコシステムを描いてメタバースでカタチにすることを決めた。

GOGH兄弟の物語をアップデートするからGOGH LAND

ゴッホ兄弟は存命中の評価を得られなかった。でも、その歴史が僕に教訓を与えた。そして「存命中に隠れた才能にスポットライトを浴びせる」というビジョンになった。ゴッホ兄弟の物語は続いているのだ。

だからメタバースをゴッホランドと名づけ、ネイティブトークンをテオコインとした。ユーザーをオーディエンスと名づけて、アーティストをブランドと定義した。

ブランドはDAOを創りオーディエンスと二人三脚の関係を築けるようにした。

ブランドが評価されるように活動を共にし、実現される度にテオコインが流通する仕組みだ。テオコインは取引所でフィアットコインにすることもできる。現実世界でもメタバースでも、表現や応援で食っていける世界だ。プラットフォームとして、ブランドが平等にスポットライトを浴びる機会を与えられるようなアルゴリズムも構築している。Youtubeのように一部のスターが新規参入クリエイターと二極化されていく世界じゃない。そんなメタバースプラットフォームだ。

GOGH LANDは、全ての表現者と応援者に力を与える。
Power to the Peopleをスローガンに。

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