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狐と狸

珍しく妻が念入りに化粧をしていた。
彼女は先月、20年ぶりに大学の同窓会に行っていたが、当時の仲良しグループだった友人達と今日も会うらしい。
女同士の方が外見の捏造には力が入るのよね、とこぼしつつも、なんだか嬉しそうだ。
「ゆっくり楽しんでおいで」
めかしこんで出掛けて行く妻を見送って、僕はミカにLINEをした。
「今日なら会えるよ。お茶でもする?」
時間作って! いつでもいいから! と連絡をもらってから1週間ほど過ぎていた。
元々は飲み屋の女の子とお客さんの関係だったが、店には行かなくなって5年ほど経っても、月に1、2回こうしてミカが唐突に時間を作れと連絡をして来るのだ。

ミカが僕と会うとき、僕はいつも大量の悪口を聞く羽目になる。
「聞いてよ! 彼ったらさ!」
彼がミカの誕生日を忘れて友達と遊びに行っていたこと、食事を作ったらスマホを見ながら食べること、最近彼からはあまり連絡がないこと。
僕はずっと動きっぱなしのミカの唇を見つめながら、なんでミカは怒っている顔が一番可愛いんだろうなぁと思っていた。もしかしたら、彼氏もそう思って、わざとミカが怒るような事をし続けているのかもしれない。
いつものように「ふ~ん」「それで?」「そりゃひどいなぁ」なんて適当に相槌を打っていたら、珍しくミカの瞳がみるみる潤んで、ポタ、とテーブルに涙が落ちた。
「もう、私、彼とはダメかもしれない」
僕は「大丈夫だよ、そんな事ないって」と言いながら、おいおいこれじゃ僕が泣かせたみたいに見えるだろ、勘弁してよと思っているのが顔に出ないように、細心の注意を払った。
僕もミカも頼んだホットカフェオレは半分くらい残っていたけれど、ひとまず店を出ることにした。

歩道は銀杏の落ち葉で黄色く埋め尽くされている。時計をみると4時を少し過ぎていた。少し夕暮れの気配がするけど、まだ夕食には早い。ミカはいつもと違って、うつむいたまま僕の少し後をとぼとぼ歩いていた。
僕は立ち止まって、ミカが僕の横へ追いついた時、ミカの片手を握って僕のコートのポケットに入れた。
ミカは相変わらずうつむいていたけど、僕は、ミカのペースに合わせて、少しゆっくりと歩いた。
ミカの手は冷たくて、夏なら気持ちいいんだろうなと思った。

結局二人とも何も喋らないまま、駅に着いてしまった。お茶はさっきもしたし、またお茶っていうのもなぁ。かといってお腹も空いてないし、どうしたものかとミカを見た。ミカは僕のコートに片手を入れたまま、電車のカードを出すでもなく、少し潤んだままの瞳で、黙って上目遣いに僕を見ていた。
僕は前を向き「据え膳食わぬは男の恥」と頭の中で何回も唱えながら歩き出した。ミカがポケットの中で僕の手をキュッと握ったのを感じた。改札の横を足早に通り過ぎ、次のカフェに行くかのように駅の裏手のホテル街の方へ向かった。

もう一度駅に戻った時には、9時を過ぎていた。ミカは自分の上着のポケットに両手を入れて、自分の乗る電車が何分に来るのか、電光掲示板を眺めていた。
改札の前で立ち止まると、ミカは「ありがとね、元気でた」とあまり元気のない小さい声で言った。
僕はうっかりごちそうさまと言いそうになったのを「ごちらこそ」と咄嗟に言い換えることに成功して、口の左側だけ半笑いになった。

ホームに行くエスカレーターの手前で、ミカが振り返って僕に小さく手を振った。僕は今度は出来る限りの笑顔を作って大きく手を振ったが、いつもと違い、ミカは僕をチラリと見て、すぐ前を向いた。
僕は改札の前で、遠くに向かって一人笑顔で片手を上げている格好になった。改札を出て来る若いカップルや家族連れに、怪訝な目で見られている気がした。
上げた手の戻し方に迷いながら人混みの方をふとみると、駅の裏手側からこちらに向かって歩いて来る妻が見えた。電車で出かけると聞いていたんだがな。心なしか今朝より艶っぽく見えるのは、気のせいだろうか。
急に寒さを感じて、コートの前を寄せた。胸元あたりの手触りがチクチクする。見ると乾いて粉々になった銀杏の葉の残骸が絡まっていた。



月刊ふみふみNo.3 テーマ「類」掲載分
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