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血縁

私も娘も髪が長い。風呂場の排水溝の、丸い網の受け皿は毎回掃除しないとすぐに髪で一杯になってしまう。
私は毎度上がるときに排水溝の髪を取って上がるのだが、娘は今年成人になるというのに、一緒に住み始めた高校生頃から何度言っても自分の髪の分すら取らない。落ちた髪は自分のものでも気持ち悪いらしい。
総員二名の家では、娘がしないなら私が掃除するしかなかった。
私の方が後で入るから、いつも入るときに毛だらけの排水溝を見るのが嫌だった。上がるときに私のではない、金髪の毛が手につくのも嫌だった。
「ちょっと、風呂上がるときに髪取って出てって何回言わすん? というか、もしかしてあんた彼氏んちでも同じようにしてんの? 男の子はこういうとこめっちゃ見てるんやから、そのうち振られんで」
「うるさいなぁ、お前が親なんだから家事はお前の仕事だろ。家事は母親がするのが当たり前」
携帯を見たまま娘が答えた。お前って何? 当たり前って何? 殴りそうになったので全力で一呼吸おいた。
「は? 何それ。当たり前ちゃうし。なんであんたにそんなこと言われなあかんの。アホか」
私の中で何かがキレた。母親ってなんなんだろう。反抗期なんだからもうちょっとの我慢よ。どこもそうよ。色んな友達が言ってくれた励ましの言葉が頭の中を素通りして行く。関係あるかい! 
私は手始めに、家では風呂に入らないことを決意した。ジムに通っていたので、そこでシャワーを済ますのだ。もともと広い湯船に浸かりたい時は、スーパー銭湯にちょこちょこ行っていたし。私はイライラした気持ちを洗い流すべく、風呂場をピカピカに掃除してその日は寝た。

私は仕事で朝から晩まで家に居ない。自分が食べない食事を朝作り置いて、深夜に戻ると、食卓にほぼ手付かずのままそれが置かれているのを見る。前になぜ食べないのか聞いたら、まずいからだと。「子供がまずいって言ったら、普通は謝るものじゃない? 母親だったらさ」何度思い返しても腹が立つ。どこの家の話だ。食べないなら、中身は捨ててせめて食器は洗え。いくら言っても一度も実行されたことはない。
先週、風呂場の髪の件で言い合ったときに「食器洗わないなら、もう私二度とご飯作らない」キレついでにそう伝えて一週間様子を見た。しかし相変わらず作ったままの食事が連日私を出迎えた。この一週間はあえて洗い物はせず、中身だけ捨てて全部シンクにためていた。いつか洗うかと見ていたが、娘が牛乳を飲むのに使ったコップが2、3個上乗せされていただけだった。下の方の皿は触るとヌメヌメしていた。私はそれらを洗わず、コップも含め全部ゴミ袋にぶち込んでやった。
もう、母親終わりでいいや。私はゴミ袋の中の割れた食器に向かって合掌した。

一週間分の食器を捨ててから、食事をはじめ、自分の事以外の一切の家事をしなくなって二週間が過ぎた。みるみる家は荒れ果て、風水に詳しくなくてもこれはアカンとわかる室内になった。途中「なんでもするからご飯作ってよ、お願い!」懇願するクマの絵スタンプと共にLINEで言ってきたが「なんでもするんやったら、頼み事は直接口で言い」それだけ打ってブロックした。以降会話は無い。ゴミ箱はコンビニ弁当の容器で一杯になっていた。コンビニ弁当は完食するんか。娘の身体の将来を思って、全部オーガニック野菜にしてたのにな。高くつく生ゴミやったわ。どっと疲れを感じた。スーパー銭湯に行くには遅い時間だった。ジムは24時間開いているが行く元気がない。三週間ぶりに家の風呂場に入った。換気をしていないのか、空気が淀み、どことなくカビの臭いがする。排水溝の丸い網の受け皿の上には、金色の煙が出てるのかと思うほどに髪が溜まっていた。見て見ぬ振りをして身体と髪を洗った。金髪の上に黒髪が上乗せされていく。落ちた髪って、自分のものでも気持ち悪いよね。私はそのまま風呂を上がった。


月刊ふみふみNo.5 テーマ「私の中の鬼」掲載分
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