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神と仏が遊ぶ夜の、祟れる恋の行く末は

 辰砂 しんしゃは盛りの山つつじの大株の中に身を潜めて峠道を登って行く僧を見送った。しゃがみ込んだ辰砂の短い小袖の裾からは白い脛から太股までが露れていたが、花筺はながたみを下げ一心に法華経をしながら険しい道を進んで行く若い僧は気付かない。この先には見事な野生の藤が咲き始めているはずである。
 数日前には彼の僧は辰砂が今日隠れているつつじの枝を折り取って戻っていった。その前は目に染みるように黄色い山吹を花筺に入れて帰った。新しい花を摘んでは守り仕える本尊に供えるのだろう。

峰の花折る小大徳こだいとく 面立ちよければ裳袈裟もげさよし…

辰砂は口ずさんだ。まことに今様に謡われたような清げな僧侶姿に違いなかった。

まして高座にのぼりては・・

「法のりの声こそ尊けれ」のしまいの節を呑み込んで辰砂は立ち上がった。
「やはり了慧りょうけい殿じゃ。他にはあるまい」
己に言い聞かすように呟くと辰砂はひそひそと山道を降り下っていった。

 都の西方に位置するこの山は、いくつもの寺院からなる大刹だいさつを擁して都の貴人から眼下の播磨の海の漁師にまで広く信心されている。開基は古く、都も荒れ果てるこの末法の世にますます信仰を集めていた。ために寺は栄えて、多くの僧侶達が下界とは別天地のような山内で修行に日を送っている。

 辰砂は寺域のはずれに近い石工の小屋へと戻った。

捨阿見すてあみっ」

 辰砂は同居人の石工を呼び捨てた。一見して夫婦のように見せかけているがそうではない。しかし山内の僧俗たちは皆、近頃流れてきた石工の夫婦と思っている。その女房のかぶりものに隠れた顔立ちが、すすをおとせば不相応に美しいことに気付くものはいない。

百太夫ひゃくだゆうを彫ってくれ」

辰砂は石工に命じた。
「ここでか。この山にか」
石工・捨阿見は目を剥いた。

 百太夫とは遊女の祀る神である。大事な客の男が離れていかぬよう、男ひとりに一体の百太夫を彫って祀る。江口えぐち神崎かんざきでは遊女達の家々の裏に数知れぬこの石の神が据えられ、それぞれに閼伽あかを供えられて、夜ごと日ごとのむせ返るような祈願に責められていた。
 捨阿見はこれまでに百や二百ではきかぬほどの百太夫を彫ってきたが、まさか寺を創建し、観音の化身といわれた慧空上人えくうしょうにんが今だ開山堂から見守っているといわれるこの聖山に遊女の神を祀るとは それこそ仏罰が恐ろしい。

「なんのためにお前を買い切ってつれてきたと思う。仕事ではないか」

 辰砂は切れの長い目の端で捨阿見を見据えた。捨阿見、と呼ばれた男は上から重しをかけたように平たい頭をして、背は低いが がっしりと腰の座った、それこそ石臼いしうすのような体躯をしている。が、なめし革のような茶色い顔についた目鼻は、自らのありどころに確信が持てぬようなたよりない風情に並んでいた。
 捨阿見ははぐれ者の石工で、ここ何年かは遊女達に頼まれて百太夫を彫るのをもっぱらの生業なりわいとしてきた。しかし百太夫は本来道祖神どうそじんと系統を同じくする土着の神である。戒律の厳しい密教の山にあるべきものではない。
 けれど捨阿見は辰砂には逆らえなかった。辰砂の切れ長の目に見据えられるとなんともいえぬ落ち着かぬ心持ちになるのだ。その菩薩ぼさつ像のような半眼のまぶたの向こうに地獄やら極楽やらわからぬ異界がちらちらとのぞくようで、ささくれ果てて鈍くなった捨阿見の心でさえ波立たたずにはいられないのだった。

「して、誰様を祀るのだ。まさか坊様ではあるまいな」捨阿見は恐る恐るきいた。
「ほかに何がおるよ。えせも生成なまなりも山に居るのは坊主ばかりじゃ」

 辰砂は顎をひいて、嬉しくてたまらぬようにえくぼをつくった。

「坊様を惑わそうとはおそろしや。そのようなことをしては事がなってもならなくても辰砂様も地獄往きはまぬがれまい。およしなされ」
「お前が思うようなこととはちがう。それにそもそも女子は遊女であれ帝の姫であれ極楽には往けぬと言うではないか」

 辰砂のまなじりがきりきりと釣り上がった。仏教伝来から六百年を経て公家の世が終わろうというこの時代まで、仏教界は女が女のままで悟り、救済される事を認めていない。女は汚れた生き物であり「変成男子へんじょうなんし」という男への変身を経てのみ救われるということになっていた。

 辰砂は神崎の遊女であった。戦に疲弊した都から 淀川と瀬戸内の航路の湊として栄える神崎へ流れてきた。とはいっても小端舟こっぱぶねに相乗りして水夫たちに胸元や脛をちらつかせる舟虫のような女達とは違う。女船頭の操る小奇麗な自前の船に乗り、受領ずりょうの大船に招かれては芸を披露しに参ずる、そういう女である。
 西国の国司を拝命した受領の多くは任地との行帰りに神崎に泊まる。受領たちの風待ちには名高い遊女を侍らせての豪奢な遊びがつき物であった。

蓋けだし天下第一の楽しき地なり。
と正二位権中納言大江匡房は書き残している。そんな女達の筆頭であった辰砂がなぜ、こんな播磨の山奥までわざわざ坊様をたぶらかしに出かけてきたのか、捨阿見の頭では測りかねることである。


 翌日、朝寝をしていた辰砂はかしましい女の声で起こされた。辰砂の小屋の下を麓へのまわり道が通っている。声はそこを下って行く女達のおしゃべりのようだ。
 修行の場として開かれた山も時を経るとともに周囲に人が集まり、田畑を作ったり、木工、石工などの職人やその家族が居着いて麓へ向かって集落をなしている。女達は井戸の傍で一休みしているらしい。

「ほんによいお経だったこと」
了慧和尚りょうけいおしょうさまはお声がええのう」

辰砂は寝床から半身を起して聴き耳をたてた。

「お姿もええし」
「きりりとしてな」

 口々に了慧の噂をしている。そういえば今朝は法会ほうえがあったはずだ。女たちは講堂の側で了慧の読経を聞いてきたらしい。

 この山を開いた慧空上人は法華経ほけきょう全巻を暗唱し、その読経の徳によって六根清浄ろっこんしょうじょうを得たと伝えられていた。自然、一山の僧達は皆競うようにして読経道どきょうどうにはげみ、法華経を空で滑らかに誦する者は能読博士のうどくはかせとして格別の尊崇を受けるのだった。おりからの法華経流行りで、下界の老若も争って読経を聞きに集まるようになっていた。

 若くて清げな容姿に魅かれ、了慧の経を詠む日にはことさらに女の信者がつめかける。そうした庶民や修行僧が息を殺して見つめる前で了慧は双眸そうぼうを閉じ、経典に手を触れることすらせず読経するという。膨大な法華経全巻をそらんじてし通せるものはそうはいない。しかし、了慧は既に法華経一乘八軸いちじょうはちじくをすらすらと暗唱することができた。声も佳よく、その読経に耳を傾ければ九天きゅうてんの有様が目前にひろがるようだと噂された。

「どうしてなんも見ないであんなにすらすらと詠む事ができなさるかの」

 まだ子供っぽい若い女の声が感嘆するように言った。

「それはただのお人でないもの。ご開山様の生まれ変わりかもしれないって西浜の婆様はいうとった」
 
 と年かさの声が得意そうに答えた。

「羽の生えた童子さまが空からで飛んできてな、一番奥の偉い坊様しかはいれんようなお堂の前に置いていきなさったという話じゃ。紫色の衣にくるまった赤ん坊の了慧和尚さまをな。それはきれいな赤ん坊じゃったそうな」

 事実、了慧は親もわからぬ捨て子の身であった。しかし、山内の奥の院護法堂の前に紫衣しえに包まれて置き去られていたというからにはただ人ではない血筋と思われた。
 下々の参詣者は奥の院まで入ることは許されない。生れて間もない了慧を最初に見つけた僧は羽のある二人の童子が赤子を守護していたと証言した。僧の姿を認めると童子達は傍らの護法堂ごほうどうの中に姿を消したと言う。
 護法堂には乙天おとてん若天わかてんと呼ばれる二体の護法童子が祀られている。かつて寺の創建の頃には護法童子たちは常に開山慧空上人の傍らに付き従って守護していたという。上人入滅の後は開山堂に隣接する護法堂にあって山全体を守っていると伝えられていた。

 了慧の生い立ちにまつわるこうした話はこの山とその周辺の村々に浸透している。辰砂が捨阿見に聴き集めさせた噂話にも繰り返し語られていた。

「西浜の婆様はな、自分が死んだらなんとしても了慧和尚さまに枕経をあげて欲しいといわはって、一生懸命機を織ってお布施を貯めとるそうな」

 と別の声がちゃかした。

「はよう死なんと了慧和尚さまが偉くなりすぎて来てもらえんし、銭はなかなか貯まらんしで気を揉んでいなさったで」
「いくら貯めても死んだらあの嫁にくすねられるのがおちじゃろ。婆様のことを因業で大飯喰らいでやりきれんてこぼしとったからな」

 女達は賑やかに笑いながら下って行った。

「ふん」
辰砂は音をたてて寝そべった。
「和尚さま、か。いい御身分だの。運のいいことだ。その運、返してもらおうぞ」

 小屋の天井に女郎蜘蛛じょろうぐもが巣を張っている。
 辰砂は枕もとのかわらけから蓮の実をつまむと、蜘蛛めがけてぴしりと投げた。巣は破れ、あわてた蜘蛛が糸を引いて降りてくる。
 ついと手を伸ばし、辰砂は蜘蛛の長い二本の前足を捕らえた。蜘蛛の尻から垂れた細い糸に指を絡め、くるくると巻きとってゆく。蜘蛛は逃れようと糸を吐きながらもがいた。しかし、前足をつかまれ、糸は吐いても吐いても絡め取られるばかり。辰砂の白い人差し指は休みなく円を描き、虚しく足掻く蜘蛛の尻から糸を手繰り続ける。
 辰砂の指に半透明な灰色の繭ができたころ、蜘蛛は足を縮めて動かなくなっていた。

 数日の後、山門にかかげられた落書らくしょは山内に静かな興奮を巻き起こした。

「リヨウケイ、ランキョウ(乱行)ノ事、タビカサナリ候ナリ。女トタビタビデアイ、マタ僧房にヒキイレ候事ハシカトミシモノコレアリ。天ハカタラズ、人ヲシテカタラシムトイワレリ。コレヲ見知リ候事ハ人ニツゲシラセヨトノミココロトオモイイタルナリ。ヨクヨクゴセンギアラマホシキ云々・・。」

 了慧が山内で女と逢い引きし、僧坊に引き入れているのを見たものがあると言う告発文である。署名のないものだが、山門に高々と貼り出された文字は太々しく 墨痕鮮やかであった。

 了慧は一山の頂点に立つ長吏照善僧都ちょうりしょうぜんそうずの側に仕える侍者じしゃである。
護法堂で拾われて以来十八年、了慧は照善の庇護のもとに修行の日々を送ってきた。了慧はすなおで手のかからぬ子であった。物覚えはすばらしく、無用な想念に惑わされることもなく、なんの疑いも持たず勤行ごんぎょうに励んでいる。この照善僧都お気に入りの侍者に対し、僧達は皆その輝かしい未来を予測して別格の扱いをしてきた。
 その了慧の身が不清浄であるという告発が公然となされたのである。

 落書をかかげることは当時しばしば使われた告発、宣伝の手段である。了慧の保護者である照善僧都は、寺の長老から報告は受けたが一切問題にせず、全く聞こえぬかのように聞き流した。しかし、落書の内容はたちまちの内に山内の僧侶だけでなく、字も読めない寺の菜園の作男や山裾の村々にまで伝わった。告発されたのが日頃から人気の高い青年僧であるだけに、枯れ野に火をつけたような広まりかただった。
 しかしながら、了慧の才能と出頭ぶりを妬む者のしわざと受け取るものがほとんどであった。
 了慧本人は降ってわいた告発騒ぎをどう受け止めていいのかわからなかった。全く身に覚えの無いことである。女人と呼べる程の女と言葉をかわしたことすらほとんど無いのだ。

 寺で育った了慧は生涯不犯の生活を送ることになんの疑いも持っていなかった。男色や稚児遊ちごあそびをする僧もいることは知っていたが、生来欲の薄いたちなのか、そちらにも興味をひかれたことはない。それがなぜいきなりあのような告発を受けるのか。

「気に病むことはない。どの世界にもいろいろな人間がおる。悪人でなくとも魔がさすこともあれば妬み心にまけることもある。照善僧都様は気に留めておられぬ」

 長老のひとりは慰め顔に了慧に言った。けれど身に覚えのない了慧には納得できるはずもない。

「しかしながら、私は潔白でございます。あのような汚らわしいそしりを受けるいわれはありませぬ。『落書を用うべからず』の条々もございます。身のあかしをたてる機会をいただきたいのです」

 寺には「置文おきぶみ」と呼ばれる条文があった。そこには寺の縁起えんぎや寺宝の由来などとともに僧侶達が守るべき日常の規範が記されている。その中に

山内の善悪につき、落書を用うべからず、
また落書を披露すべからず

の一文があった。匿名で人を糾弾する落書は禁じられているのだ。さらに、落書は発見されたらすみやかに処分されるべきでその内容を告げ広めてはいけないのである。

「お若いな。誰ぞが了慧殿に密かに懸想けそうして 報われぬのを思いきるためにあのようなものを書いたかも知れぬよ。今頃は己のしたことにおびえておるだろうて」

 いきり立つ了慧を前に、長老はたいしたことではないというように、ことさらに軽々しい言葉をつかってみせた。
 若い了慧には酷なことであったが、落書などというものは無視するより他はないということを老僧達は知っていた。書かれることには時に真実もあり、虚言もある。寺の置文にわざわざ落書を禁じているのは、それがよく行われることであるからなのだ。愉快犯的な要素も強いものであるからまずは取り上げないのが無難なのである。

 了慧の晴れない顔色を見て長老は

「照善僧都様がなにもおっしゃらぬのだからよしとされよ。了慧殿に非があるとはだれも思っておらぬ。紙切れ一枚で騒ぎ立てて わざわざ咎人とがにんを造ることはあるまいとの照善様のお考えでもあろうが」

 と言葉を重ねた。

 ところが紙切れ一枚ではすまなかった。数日も経ずして、またも山内に落書があらわれたのである。今度は鐘楼しょうろうの柱であった。内容は同じく了慧の不行跡を告発するものである。筆跡も同じと思われた。落書はすぐに処分されたが、噂は口から口へと広まった。

 そしてまた噂が鳴り止まぬ内に三度かかげられた。見廻りはふやされていたが、なんといっても寺域は広大であり山上の夜は暗い。朝になると山門や太鼓櫓などにこつ然と落書が現れるということが数度に及んだ。
 噂はいよいよ喧しくなった。了慧は居たたまれない。これまでは目をあわせることさえも遠慮していたような大部屋住まいの修行僧が不躾ぶしつけにも興ありげな眼差しを送ってくる。通り過ぎた後ろでひそひそと何かが囁かれている。
 なぜ自分がこのような噂の餌食にならねばならないのか。身の潔白を示すことができるならそれこそ水火も辞さないと了慧は思った。


 山の最高位である照善僧都は膝前に置かれた落書に目を落としていた。今朝方、何度目かに山門付近にかかげられたものである。いつもの告発文の他に

「タビタビ落書イタスニ、オエラキカタガタノヒイキヨリ、ナンノ御サタナクシカラヌコトニテ候」
 
という一文が加わっている。了慧が糾弾されないのは寺の上層部のひいきによるものであるというさらなる批難の言葉である。
 疑惑は了慧の身辺についての問題から、了慧をかばう照善と長老達への不信へと拡大しつつあった。
 照善は了慧が拾われた前後から、長吏として山内で並ぶもののない権威を振ってきた。その背景には都の貴族達の絶大な支持があった。了慧を護法童子がつれまいらせた特別な者として遇してきたのも、すべては照善の指図である。

 了慧の身元について疑義を持つ者がいなかったわけではないが、その声は照善の圧等的な権力と了慧の並外れた賢さ、美しさのまえに封じられてきた。しかし、繰り返される不穏な告発は次第に気味の悪い影響力を発揮し、山内の僧侶達に封印された古い臆測を思い起こさせはじめたようだった。

 この時代、人は薄暗がりの片隅に常に異界からの訪問者を意識している。書き手が見現みあらわされることなく繰り返される落書は「天狗の落とし文」などとも言われて、人でない神秘な何者かからの伝言であると受け止められることがままあった。

--------天は語らず、人のさえずりをもって事とす

というわけである。照善は独鈷とっこの先でぷすりと「怪《け 》シカラヌコト」の文字を突き刺した。

 捨て置けないような「さえずり」がひろまりはじめているらしい。つい今し方 目を赤く充血させた了慧本人によって照善はそのことを知った。たもとをひいて押しとどめようとする長老を振り切るようにして了慧は照善の居間に闖入してきたのであった。

「照善僧都様、お尋ねせねばならないことがございます」

ただ事でない様子はその声からもわかった。

「何ごとか」

 照善はほんの半拍ほど呼吸をずらしてゆっくりと了慧に向き直った。乾いた唇を震わせた了慧が真偽を正そうとしたのは十八年前に囁かれ、照善の栄達とともに封印された噂であった。

 生まれたばかりの了慧が外の者が容易に立ち入ることのできない奥の院に、それも紫の僧衣にくるまれて捨て置かれていたのは他ならぬ照善がしたことだというのである。照善が隠し女に産ませた了慧を僧侶として引き立てて、ゆくゆくは長吏ちょうりにもせんとの企みで事を謀ったと言うのだ。
 それ故に了慧が成年になる程に天が不正をさまたげようとして了慧不清浄の文書を落とすのだと。

 流言りゅうげんの出所は照善に敵愾心を燃やす山内の僧侶の誰かであろう。しかし、時を経て蒸し返された噂はまるで真実の再発見のように伝播されるものだ。世間並みの遊びも許されない僧達には格好の話題に違いなかった。

 うわずり、前後し、重複する了慧の話に一切口をはさまず、照善は静かに聞き終えた。

「そのような話を信ずるのか」

ゆっくりとまぶたを上げた照善の口調には了慧の正気を呼び覚まさす冷えた重さがあった。

「信じはいたしませぬ、ただ・・・」

おのれの取り乱しように気付かされた了慧にはその先の言葉が見つけられない。

「・・・お赦し下さいませ」

了慧は思わず合掌低頭がっしょうていずしていた。もとより信じたい噂ではない。了慧は照善の言葉にいっさいを預けるしかなかった。

 了慧をなんとか正気に返した照善であったが気分は重かった。十八年の間方便ほうべんと信じ、ほころびない事をその目的の正しさの証としてきた古い秘め事が、未知の力によってあらわれようとしているのだろうか。

第2章

十八年前の晩春、照善しょうぜんは請われて都のとある貴人の館を訪れた。そこは幾世代にもわたって娘を宮中にあげる家柄であり、それまでにも何度か加持かじを頼まれた事があった。 しかしこの時の加持祈祷かじきとうは特に大掛かりなもので、照善一行の僧侶たちのみならず、巫女や陰陽師も集められていた。

 願主の願主の望みは安産と、生まれる子の強運である。現当主の初めての子がこの屋形で生まれようとしていた。
 作法によって産屋とは別の対に照善の加持祈祷のための部屋が用意されていた。産屋となる東の対屋の前の白州には住吉から呼ばれたらしい巫女達が居並んで祈祷をはじめている。西の対に入る照善たちの姿を一瞥すると 一党の長者らしい年嵩としかさの巫女は一段と声を張り上げ、緋の袴を踏みしだいて舞い狂った。自分達よりも格上の鄭重な待遇を受けることが慣例化してしまっている僧侶に対して、敵愾心てきがいしんを燃やす巫女は珍しくない。

 鳴弦のための武士が産屋うぶやを取り囲んでものものしい有様である。
このお産への一族の期待は大変なものと思われた。西の対を仮の仏堂とし、照善しょうぜん御修法みしほのための護摩壇ごまだんを設えさせた。陣痛の始まりの知らせとともに照善は壇にのぼり安産を祈った。産屋にいるのはこの家の北の方である。親王の血を 引く高貴の女性であるらしい。
 火炉に惜しみなく投ぜられた乳木、白檀、竜脳、丁子、鬱金、沈が強烈な匂いを発して邪気を封ずる。一昼夜を越える不眠不休の祈祷の末に無事男子が誕生し、照善は面目をほどこした。

 饗応の後、弟子に帰り支度の指図をしていた照善は願主がんすに密談があると留められた。人払いをした部屋で照善を迎えた主の顔には念願の跡取りを得たばかりにしてはかげりがあった。
「照善殿。これからお頼みすることは一切他言無用に願います。
そしてまず『引き受ける』とお約束頂きたい」

 相手は摂関家に繋がる権門の主である。こうまで言われて断れる話ではない。
「願いと申すのはほかでもありません。今日、照善殿のお力によってこの世に生まれた赤子をお預かりいただきたいのです」
「僧侶になさるということか」
「いかにもそうです。ただしこの家の子であることは誰にもお教えくださるな。本人にもです。照善殿と私だけの秘密としていただく」

 赤子は立派な僧侶となるよう育てて欲しい。しかし、もしかしたら将来生家に迎えとる事があるかも知れないことを含みおいて欲しい、と言う。
 当主は言葉を濁したが生まれたのは男子の双児だったのではないかと照善は推察した。跡取りが双児では将来に争いが起きかねない。そして生家に残った片割れが無事に育たなかった場合に限っては預けた子を跡取りになおすかも知れないということなのだろう。
 取り上げ役の女房だけでなく産屋近くに居た者達の中には生れたのが双児であったことに気づいたものが居たであろうと照善は気になった。たとえばあの住吉の巫女の長者などはまさに生れるというころには簀子すのこからひさしの間まで躍り上がって産屋の壁代かべしろを引きちぎらんばかりであったという。
 しかし、ひとりはまもなく死んだといえばそれですむことではあろう。照善はそれ以上何も訊かず承諾した。赤子は移動に耐えられるほどになったらすぐ、照善のもとに送り届けられることになった。照善は礼物れいもつの中から一番見事な出来の僧衣を選び、目印として赤子に着せて護法堂ごほうどうにおくようにと指示した。赤子の生まれを明かにせず、血筋に相応しい処遇を与えるために思いついた方便であった。

 自分の祈祷によってこの世に無事に生を受けた赤子である。因縁というものであろうと思った。

 了慧りょうけいの出来のよさが幸いし、照善がこしらえて古参の老僧に語らせた護法童子ごほうどうじの目撃談は疑われるどころか尾ひれがついて広まった。すべては照善の描いた筋書き以上にうまく運んできた。筋書きをこしらえた照善自身、了慧が人智を超越した尊い何者かの配慮によって宗門の頂点に立つべく遣わされた者であることを信じるようになっていた。さもなければあれほどに高貴で聡明で美しい子が、あのようにして寺に来る運命にはなるまいと思われる。紫衣しえに包んだことも、乙天おとてん若天わかてんの伝説に絡めたこともすべては仏が照善の耳元に囁いてさせたことなのだ。

 そして了慧は寺の歴史に残る名僧として伝説を完成させるはずであった。ここで了慧を失うのは情義どちらにおいても忍びない事であるし、山の後継についての照善の目論見もすべて白紙に返る事になる。
 なんとしても防がねばならない。

 照善はここまで事態を静観したのは誤りだったかと思いはじめていた。評定ひょうじょうを開き、落書の件を取り上げるべきか。しかし、ここまで来て単に落書は御法度である、と評定の場で念をおしたところで広まった噂の火に油を注ぐだけであろう。了慧にみずから潔白を証明させる手立てもあるにはあるのだが、失敗すれば取り返しがつかない方法である。
「今しばらく」
と照善は思い直した。

 しかし、今しばらくの猶予はなくなった。翌日、血相を変えた侍僧のひとりに法衣の袖を引かれるようにして照善僧都しょうぜんそうず開山堂かいざんどうに連れてこられた。開山堂は奥の院のそのまた最奥にあり、寺を開基した慧空上人えくうしょうにんを祀る山内でも格別にあがめられている場所である。

 侍僧に促されて照善は開山堂の裏手にまわった。そこには袖で顔をおおって腰を抜かしたようにへたり込んだ了慧の姿があった。小刻みに震える黒い衣の固まりと化した了慧の前にずっしりと据えられていたのは一個の、いや二体の石の神であった。二尺はあろうという大石にのみの跡も鮮やかに彫りあげられているのは大聖歓喜天だいしょうかんぎてんのようにからみ合った男女の神である。その顔や衣にはけばけばしい彩色が施されている。言わずと知れた百太夫ひゃくだゆうであった。そしてその男神の足元にはくっきりと「りようけい」と刻まれていた。

「了慧様はさんろうきせうとやらをなさるとよ」

 捨阿見すてあみは上目遣いに辰砂しんしゃの顔をみあげて報告した。辰砂のいいつけで寺の菜園の作男から噂話を聞いてきたのである。

参籠起請さんろうきしょうか」
辰砂は薄い舌でゆっくりと上唇を湿した。

「それはよい。それはよいわ。してどこに籠る」

 百済くだら渡りの古い仏像のように得体の知れない笑みを浮かべて辰砂は聞いた。

「開山堂に七日間とか聞いた。さんろうきせうとはなんだ。了慧様はどうなるのだ」

 そもそも寺法も戒律もよく解らぬ作男から、解らぬままに聞いてきた捨阿見である。了慧が大変な試練を受けるらしいということはぼんやりわかったが話の筋道はつかめていない。わかっているのは辰砂が書いて自分に貼り出させた落書らくしょと、命ぜられて彫った百太夫が原因であることだけだ。

「捨阿見の百太夫が今度はよく効いたの。祀って一晩でげんがあったわ。やはり紙切れより百太夫様じゃ」 
辰砂は気味が悪いほど機嫌がよい。

「参籠起請とはの、」
 上機嫌の辰砂は捨阿見に教えてやった。

「起請文を書き、お堂にこもって身の証をたてるのだ。四六時中見守り役がついての。その七日の間になにも起きなければよし、もし何か『しつ』がその身に起きれば了慧殿は起請に嘘を書いたことになる。つまり・・・」

 辰砂は次の言葉をゆっくりと舌の上で転がした。

「了慧殿は山から追放されるのじゃ。破戒の罪によってな」

「『失』とはなんだ。何も起きるまいが」
 捨阿見は不安になった。辰砂に引きずられてこうしてはいるが、いかにも無垢に見える若い僧の破滅を望んでいるわけではさらさらない。

「ほほ」
 辰砂御前は蓮の台うてなに乗った菩薩像のように目を細めた。

「『失』には色々あるのだよ。何が起きるだろうねえ」
 
 雀瓜すずめうりの実のように形のよい辰砂の頭は麻布のかぶり物で半ば覆われている。そのきっちりと結ばれた白麻の中には神崎中の遊女が妬んだという漆のような黒髪がとぐろを巻いているはずだ。
 そしてその下につながる体も粗末な小袖に抜かりなくくるまれているけれど、名工ののみが彫り上げたような隙のない形をしているのだ。
 寺の金堂の観音菩薩像の胎内には天竺から渡った舎利しゃりが納められているという。この女の体の中にはいったい何が詰まっているのだろう。

 捨阿見は思わず目を伏せた。

 参籠起請とは神仏の裁定をうけるために定められた行のことである。重大な疑いを受けたものがその身の潔白を示すために峻厳な手続きを踏んで実行する。裁定は神仏によってなされるのであるから、いかなる結果となってもくつがえることはない。善悪正邪を判ずるための最後の手立てであった。
 参籠起請によって潔白が証されればもはや何人にも糾弾されることはない。しかし、罪ありとされた場合にはそれは永遠の烙印となるのだ。

 その朝、了慧は作法通りに牛王法印ごおうほういんの押された護符の裏を返して二枚の誓紙せいしをしたためた。内容は かけられた疑い、この場合は女を引き入れて関わったという罪状を否定する文言になる。自分は女人と不清浄なかかわりをもったことは一切無いという意味の事を書き、署名するのだ。了慧の正面に座した老僧は二枚の誓紙に花押がなされるまでをまばたきもせずに見届けた。これがいわゆる起請文きしょうもんとなる。

 作法にのっとって一枚は本尊の御前に納められた。もう一枚は焼いて灰となし、神水に溶いて了慧が飲み下す。この様子も二人の僧によってすみずみまで見届けられている。手続きのうちには些かの省略も許されない。

 山内の大衆たいしゅがすべて集って唱える慈救呪じきゅうじゅの、金堂の天蓋をゆらすほどの響きを背に聞いて、いよいよ了慧は開山堂に籠った。これから七日間を神仏の裁定を待って過ごすのだ。
 薄い帳を隔てて、二人の見届け役が既に座についていた。見届け役は六人が任命されている。交代で常に二人ずつが片時も了慧から目を離すことなく夜も昼も見守り続けるのだ。

 了慧が眠っても彼等は眠ることはない。
 六人は何を見守るのか。それは了慧に『失』が現れるかどうか、に尽きる。

『失』とは参籠中の者の身に起きる有罪を示す現象の事である。

・鼻血出づる事
・起請文を書くの後、病の事
・鼠のために衣装を喰わるるの事
・身中より下血せしむる事
・飲食の時、咽ぶ事
・乗用の馬斃たおるる事

 等々、『失』に数えられる事柄は多い。鼻血が出たり 鼠に僧衣をかじられたり 食事の時にむせてさえ有罪を示す異変とされるのだ。このような異変が一つでも了慧の身に現れれば、それは起請文の内容に偽りがあるために下された神罰であるとみなされるのである。

 了慧は身持ちの不清浄をもって山を追われる事になるのだ。
 了慧は足の指先どころか衣の端まで神経を張り巡らせて開祖慧空上人の像を納めた厨子の前に座し、合掌、低頭した。なんとしても身の証をたてねばならない。

---------自分は慧空上人様でさえ三十路半ばにしてようやく達成したという法華経全巻の無本の読誦どくじゅをすでに成し遂げようというほど精進してきたのだ。

 了慧は自らに言い聞かせた。しかし、爪のささくれからのわずかばかりの出血でも、あるいは衣を何かで損じても『失』とみなされるかも知れないのだ。最初の番についた見届け役ふたりは総身の念を集めたようにして目を凝らし、了慧を見詰めている。
 堂の内の空気はたちまち重くなりはじめた。了慧はかゆを飲み下すにも気を張り詰めた。咽むせんだりしたらたちまち「失」と見なされるかも知れない。
 ろうそくに灯を点ずるのも細心の注意をはらった。ろうをこぼしたり指をやけどしたりする事は絶対にしてはならないのである。一歩移動するにも足裏を傷つけるようなささくれなどが無いかと目を凝らした。

 時がたつのが途方も無く遅い。
 やっと最初の夜が訪れると見届け役が交代した。
 新たな二人も何ひとつ見のがすまいと了慧を見守っている。了慧は横になる事も眠る事も許されているがとてもそのような気になれなかった。結跏趺坐けっかふざして心を鎮め、何も思わず時をやり過ごそうとした。
 しかし、ふだんの勤行の時のような水のような心持ちはおとずれない。
 なにも思うまい、とするほどに了慧の心は一つの事にひきよせられていくようだった。

 何者があのような落書を書いたのか。なぜ自分があのような誹謗中傷を受けるのか。なぜあの汚らわしい石像に自分の名が刻まれねばならなかったのか。

 了慧は護法童子に守護され、前世の因縁によって立派な僧と成るべくして生まれてきた自分に何の疑いもたなかった。しかし、参籠に向かう了慧を見送った僧達の目は猜疑に満ちているように思われた。閉め切られた狭い堂の中にはしだいに不安と疑惑のみが充満していった。

 春とはいえ、夜明け前の山の空気は冷たい。開山堂の床下には一段と重く湿った空気がよどんでいる。
 その湿った闇の中から堂の裏へと溶け出すように這い出た捨阿見はむじなのように身を丸く縮めて辺りを窺った。他に気配が無い事を確かめて裏の林に滑り込んだ身のこなしは ずんぐりと鈍そうな昼間の様子とは別の生き物のように俊敏だった。石組みや土居造りの技を買われて小戦の人足に雇われるうちに身に付いた芸である。険しい山道をかさりとも足音をたてずに捨阿見は下っていった。

 帰りついた小屋の戸を引き開けると荏胡麻油えごまあぶらの匂いが鼻についた。油皿に灯心を三本も立てた結び燈台の下には、辰砂が肘枕で寝そべって象牙のさいころを弄んでいる。
 双六盤の側には甘い香りの揚菓子あげがしを盛った片木へぎがあった。明かりに油を使う事さえ庶民にはままならないのに、一度に三本もの灯心を燃やすなどは目も眩むような贅沢である。

「どうだったえ」

 寝そべったまま辰砂は揚菓子を捨阿見の方に押しやった。辰砂の長い睫毛まつげがつくる濃い影の中には小鬼が踊っているのではあるまいかと捨阿見は思う。

「何も無い。お静かなものじゃ。ただ今日はずっと経を読んでござった。」

 捨阿見は辰砂の命令でもう六日間、毎夜了慧の籠る開山堂の床下に忍び込んで夜明け前まで様子を窺っていた。
 はじめのうちは落ち着き無く動く気配があった。しかし次第に動きは少なくなり、独り言をぶつぶつと呟くようになったという。堂の内は一晩中ろうそくがもやされ、辰砂の小屋よりもなお明るい。
 了慧の動きは気配だけでなく床板の隙間の光の筋で床下の捨阿見にも手にとるようにわかった。

 四日目には了慧はほとんど動かなくなった。動かぬのに時に呼吸が異様に荒くなり、意味の解らぬ独り言をつぶやいては開山上人の木像の下に座りつづけていた。

 それが今夜は呼吸も静まって微かに経文を唱える声だけが延々と続いたという。

「ふうん」
辰砂は顎を引いた。もうじき脳乱するかと思ったのに了慧は落ち着きを取り戻したのだろうか。

 一通り報告した捨阿見は生唾を呑み込みながら揚菓子に手をのばした。麦粉を捏ねて揚げたものだが 黒砂糖がたっぷりとまぶされている。こんなものは辰砂に掛かりあわねば一生口に入らなかったに違いない。

「手を洗えっ」
辰砂に叱られた捨阿見は慌てて勝手横のかめから水を汲んで開山堂の床下でついた泥を洗った。

 荒菰のうえに起き直った辰砂はたてた片膝の上にひじをつき、手の甲に少しばかりしゃくれた顎をのせた。舞いの心得のせいか、こんな容儀でも背筋がのびて姿がよい。

「何の経を唱えていた」

 捨阿見に辰砂はきいてみた。この男は見た目より気の効くところがあるのに辰砂は気付いていた。

「経典などはおれにはわかりもうさぬ。ただ辰砂様の唱えてなさるのによう似ていた」
 口の端から揚菓子のくずを散らかしながら捨阿見は答えた。

「妙法蓮華経じゃな」
 いわゆる法華経である。
 この時代のもっとも流行っている経文と言っていい。
 澱よどみなく美しく法華経を詠む事が名僧の条件とされるこの寺において、経を詠む「読経道どきょうどう」は特に重きを置かれる修行である。
 経の読み方については読経前の心得から細部の節回しまでにさまざまな解釈が加えられて書物にもなっている。最も重要な部分は書物に書かれる事さえない。師弟間の口伝として選ばれたものにのみ伝承されるほど神聖視されていた。

 経詠みに血道をあげたのは僧侶ばかりではなかった。上位の貴族から庶民までこぞって経典を聞きたがり、うまい経詠みの経を聞く事を最上の娯楽として喜んだ。
 芸人や遊女のなかにも経詠みを芸とするものが多く現れ、もてはやされていた。そのような高級な芸に接する機会をなかなか持たない庶民にも経典や仏教説話はよく知られていた。諸国を巡る法師や比丘尼が曼陀羅や絵巻をひろげて物語る「絵解えとき」の見せ物が社寺の境内や市場で大はやりしているのだ。

 この時代には経典は退屈で意味不明の文字の羅列ではなく、華やかな異国の文化や心踊る冒険譚ぼうけんたんを織り込んで極楽を垣間見せてくれる娯楽として受け止められたのだった。
 サンスクリットの神秘的な響きと複雑面妖ふくざつめんような大陸の文字は沙羅双樹さらそうじゅの花や天竺てんじくの王子の姿を、さまざまな誘惑や試練の場面を、そしてあこがれの浄土を人々の前に現出させる事ができた。

 特に知識階級の経詠みへの執心は熱狂的とも言える程であった。そうした風潮の中でこの山は読経道の正統として頂点にあるとされていた。寺には「法華経音曲ほけきょうおんぎょく」という秘伝の譜が伝わり、正統を伝承する読経博士と認められた者だけが見る事を許されていた。
 歴代の読経博士の系譜には法印や上皇の名さえあった。芸能に造詣の深かった後白河院は法華経詠みにも熱中した。隠岐に流された後鳥羽院も「隠岐院ノ御流ノ経」と言われる法華経詠みの一流をおこす程傾倒した。法華経詠みは一流の教養人達を魅惑して止まない至高の芸道であった。

 秘伝「法華経音曲」を相伝している当代は了慧の師照善その人である。そして次代の読経博士の地位を担うと目される後継者の筆頭こそが了慧だった。その了慧が法華経を唱え続けていると言う。

------追い詰められてとうに脳乱したかとおもうたに。

 辰砂は首をかしげた。堂上家の姫よりも柔らかそうな手をしていたあの若僧を見くびっていたかもしれぬ。
 あと一日一夜を無事に過ごせば了慧の潔白は証明されてしまう。了慧に起請を破らせるには最後の仕上げが必要になりそうである。
 それにしてもあの紅く甘そうな唇でどのように法華経を読誦するのだろう。山道で聞いたのは微かに口の中で唱える、それもほんのひと節にすぎない。

-----どの程度の芸か、聞いてみてやろうかね。
 
 好奇心が辰砂に決めさせた。
 法華経詠みは辰砂の表芸おもてげいだった。
 神崎一の経詠み遊女として辰砂御前しんしゃごぜんの名は京にまでも響いている。
 その芸は師匠から容赦ない折檻とともに厳しく仕込まれたものであった。辰砂にとって法華経は否応なくその身に刻み込まれた食うための芸であり、極楽だの悟りだのは別の世界の話であった。

 次の夜、辰砂はみずから開山堂の床下に忍んでいた。
 忍び入る前から堂の中からは了慧の読経の声が洩れ聞こえていた。
 辰砂は堂の床下中央、古い切り株の上に寝そべった。かつてこの切り株は大木の桜であったという。
 慧空上人はその樹上、雲をなす花の中に観音菩薩の降臨こうりんするのを拝した。この地に寺を開き、修行の場とすることを天命と感じ取った上人は凡俗にも菩薩の姿を示すためにこの桜を切って観音菩薩の像を刻み、本尊とした。上人の入滅後、その切り株の上に開山堂が建立されたのである。

 了慧の声は切り株の真上からおちてくる。なるほど山上の若手随一の能読のうどくと言われるだけあって節回しは正しく、声は美しい。
 経典は第三巻に差し掛かっていた。おちてくる声は小さいが、辰砂には了慧がどこを詠んでいるのかがすぐにわかった。

  我聞是法音 得所未曾有
  心懐大歓喜 疑網皆已除
  昔来蒙佛教 不失於大乗

 世尊の言葉によってやがて真の悟りに到達しうると確信した舎利佛ことシャリ=プトラが躍り上がらんばかりにしてその喜びを語る場面である。
 にもかかわらず了慧の読経は正しくはあるが淡々としてどこにもシャリ=プトラの悟りへの予感や歓喜を聞く者に伝えるような力や技は感じられなかった。

-----なんだ、この程度か・・

 辰砂は拍子抜けした。次期の読経博士としてはあまりにもつまらぬ詠み方ではないか。

-----もう少しましかと思ったがの。

 辰砂は意地悪く考えた。この程度でほめられるのなら僧侶は楽な商売だろう。
 やがて経は現世を 汚され、滅び行く大きな家に例える下りに差し掛かる。

  夜叉悪鬼 食瞰人肉
  毒蟲之屬 諸悪禽獣
  孚乳産生 各自臧護

 柱も傾き壁も崩れ落ちて汚物に満ちた家に悪鬼、魔物、魑魅ちみ魍魎もうりょう、毒虫、狼、狐がうろつきまわり人肉を食い散らす。そして散乱する屍の上に悪しき禽獣どもが産み落とされ、互いに食い合う恐ろしい様が語られてゆく。

 辰砂が貴人の宴席で所望されてこの下りを詠む時には、中空に描き出される凄まじい地獄の有様に末席に連なる警護の武者までが青ざめ震えたものである。
 了慧の声は型通りに抑揚をつけて正しく進んでゆくが、そこには腐肉のただれるような匂いもなければ猛禽もうきんの羽ばたきも聞こえない。

 物語は進んでゆく。

  金銀瑠璃 硨磔瑪瑙 以衆寶物 造諸大車
  荘校厳飾 周市欄楯 四面懸鈴 金縄絞絡
  眞珠羅網 張施其上 金華諸纓 處處垂下・・・・・

 遂に火を吹いた化け物の住処から世尊が人間を救い出す下りである。愚かな子供のような人間達を救い出すために世尊が用意した豪奢な乗り物の様子が語られる。

---瑠璃るり瑪瑙めのうや金剛石を飾った黄金造りの車は真珠を綴り合わせた帳でおおわれ、内には絹のしとねが敷かれて 美しい白い牛がしゃらしゃらしゃんと鈴を鳴らしていてゆく、と。
 
 辰砂がこの下りを謡う時、宴席に新しい酒を運んで来たおんな達は宝玉の光に目が眩み、白銀の鈴の響きに心を奪われてその役目を忘れたものだ。

 了慧の詠み下しには目を射る黄金の輝きも褥の絹鳴りもない。

--------噂ほどの事はないの。亜鳥あとりの言うたはまことにこの男のことかの。

 辰砂は手持ちぶさたのあまりに事の起こりを思い返した。亜鳥とは辰砂が懇意にする住吉の巫女の名である。神崎の遊女には岩清水八幡や住吉の神を信仰するものが多い。願掛けや占い、祓いなど折節社に出向くのは気晴らしでもあり情報蒐集でもあった。
 この正月、辰砂は住吉の社に詣でた。社にはおびただしい数の巫女がいる。下は一ノ鳥居の外に立つ擦り切れた袴に破れ衣の乞食巫女から、上は拝殿の奥の御簾の向こうで貴人の名指しを待つ高位の巫女まで、その価も評判も様々である。
 託宣のよくあたる「まさしき巫女」ともなれば客をより好みするほど威勢があった。
 亜鳥は住吉の巫女の筆頭で一番の古顔である。客筋がよく礼物が高い事でも第一であった。信心には熱心ではない辰砂だが亜鳥の託宣に含まれるよそでは得られない情報には価値を認めていた。なにより、このところの景気の悪さは日々を成りゆきに任せているわけにはいかないところまで来ていた。

 坂東の武家の勢力が強くなってからというもの、荘園でも地頭が幅を利かしている。かつては国司、受領ずりょうとして国中の富を吸い上げていた都の貴族達は今では武士階級である地頭に旨味をさらわれるようになっていた。
 辰砂の一番のお客の受領達はかつてのような優雅な暮らしから遠ざかりはじめていたのである。
 新興の地頭は朝廷の臣ではないから、受領のように都と行き来をしない。したがって神崎の湊で風待ちの宴をする事もない。辰砂のお客はがっくりと減ってしまったのだ。
 西国への海の玄関口である神崎は相変わらず大船小舟の出入りが激しくとも 湊の夜の有様は一変していた。床入りだけが売り物の安い女達は客に困らないが経詠みのような高雅な芸を喜ぶ客はいなくなったのだ。

 みやこ下りのたはれ女は ふしおもしろく経詠めど 
 あだし心に験もなく 受領の殿に去られては
 ともとり婆にもそしらるる

 もっぱら最下級の水夫達の相手をするような女達や船に荷を運ぶ人足どもの間にこんな今様が流行る程であった。

「みやこ下りのたはれ女」とは神崎の景気のよさを当て込んで京から下った遊女をいう。経詠みを芸とするような辰砂たち高級遊女のことだ。
「鞆とり婆」とは神崎の水辺を船で行き来する高級な遊女に雇われた専属の女船頭をさしている。自前の小奇麗な船を鞆とり婆に操らせ、見目のよい童女に螺鈿細工らでんざいくで飾った日除けの大傘を差し掛けさせて客の大船に漕こぎ寄せるのが位の高い遊女の印であった。
 その気位の高い遊女が上客の受領に見捨てられ、身入りが減って雇い人の鞆とり婆にまでなじられるほど落ちぶれたと言うあざけりの歌である。

 事実、辰砂のところにも上客だった淡路の受領や川向こうの摂関家の荘園の目代もくだいからさっぱりと音沙汰がなくなっていた。西国の任地との往き来にはつきものだった受領たちの宴席からの招きはぱったりと途絶えていた。
 辰砂には貯えもありすぐには困らないが、このまま商売のなりたたぬ神崎にいて舟虫のような女達にあざけられているのは我慢ならない。
 東国への通り道に近い江口へ行くか、都に戻るか。それともどこか羽振りのよい豪族のいる地方へ都落するか。それを占うための住吉詣出であった。

 亜鳥ほどの巫女となれば客は貴人や物持ちばかり、権門盛家けんもんせいかも珍しくはない。綺羅きらをはり、権門の趨勢を知りたがる遊女達もまた亜鳥の上客であった。
 頼まれて祈り占うことがらは 除目の行方、公事の勝敗から中宮后の位争い、立太子まで様々であった。
 巫女の役目は神を正しくわが身に憑依ひょういさせる事であり、憑よりたもうた神は巫女の口を借りて託宣をする。客達の秘密をよそへ漏らさないのは巫女の心得事だが、自然と世の裏表の機微には通じてくる。

 亜鳥は五十年の余にもわたって神と貴人たちの取次ぎをしていた。誰が何を望み、何を怖れ、どんな秘密を抱いているか、亜鳥のような巫女は住吉の神以上によく知っていたかもしれない。

 鼓、琴、鈴が打鳴らされる中、辰砂のためにゆららさららと亜鳥に降りたもうた住吉の神は、神ならで知る由もないような秘事を語った。

「辰砂御前の運は大運なり。なれど」
 と亜鳥の口を借りたものは告げた。

「その運を違たがえて盗みし者あり。その者は」
 と亜鳥の長く、節の高い指は盛り砂をかき回した。

「西の方播磨はりまの山にありてよく経を詠む。その者に違えたる運を返さするべし」

 播磨の山に住まいする能読の僧が辰砂と運を取り替えて強運を得ている。その者を破戒させれば奪われた運を取り戻す事ができる、という思い掛けない託宣だったのである。

 引っ越し先の方角を占う程のつもりであった辰砂は亜鳥の口から出た託宣を心底から信じたわけでは無かった。
 しかし、よい客も訪れず神崎での暮らしにも飽きていた辰砂は、捨阿見を供に雇って西へ向かったのであった。

 播磨の国で読経道の寺はこの山をおいては無い。開基かいきは古く、王朝貴族や名僧にまつわる逸話も様々伝えられている。畿内の有閑階級なら一度はもの詣でと称して訪れてみたい名所でもあった。託宣の中身はともかくも、どうせする事も無いのだから読経道の本流の寺とやらを一度見てやろうと辰砂は思ったのであった。

 来て見れば探りもせぬ内から自然と了慧のうわさが耳に入ってきた。
 その腹立たしいほどの評判の高さがつい辰砂を本気にさせた。加えて、了慧が山内で拾われたという逸話も住吉の託宣と暗合しているように思えてきた。なぜなら辰砂自身が五条の河原で拾われた捨て子だったのである。

 珍しくも無い事だが、どこかで飢饉がおこると、喰いかねた農民達が土地を離れて都に流れ込む。また、新興の地頭は何かと難くせを付けては地付きの農民から農地を取り上げて自分の手下にくれてやる。
 土地を追われたものはやはり都に流れ込んだ。大方の者はそこでも飢えて河原で水を飲みながら死んでゆくのだった。
 
 辰砂もそうした者の子だったかも知れない。河原で拾われ、検非遺使けびいしにわたされた辰砂は悲田院ひでんいんで育てられた。当時悲田院は公的な孤児院として身寄りのない子供を養育する施設となっていた。そこで惨い扱いを受けたわけではないが懐かしく思い出すような所ではなかった。

 このころから貴族や農民、そして半農民である武士以外の、「職能民」が都市部を中心に増えはじめていた。農民が農閑期に自分で造っていたような木工品や鋤鍬などの鉄器の製造を生業にする職人達や船による海上運送や交易に携わる者など、班田収授の法に始まる古い国家の仕組みに収まらない者たちである。
 医師や巫女、そして遊女もまたこの範疇はんちゅうの者であった。巫女や芸人、渡り職人、勧進聖かんじんひじり、行商人などは自由に移動しているようであっても、おおむね神社仏閣や「座」などそれぞれの組織に属し、支配を受けていた。しかし、耕作せず一見して土地に縛られないその暮らしぶりは、農民を中心とする定住者から見れば漂泊ひょうはくの民であり、「異なる者達」として時に憧憬され、またしばしば排除の対象となった。
 悲田院で育った辰砂もまた属する大地を持たない生まれながらの「異人」であった。

 辰砂の養母小観音こかんのんは白拍子としてトウの立ち始めた頃から何人もの少女達を家においては芸を仕込み、仕事を手伝わせるようになった。辰砂もその美貌を見込まれて引き取られた一人だったのである。
 鼓の間をうまく合わせられなかったり 経詠みを覚えられない娘は容赦なく|打擲ちょうちゃくされ、食事もろくに与えられず、寒空の下に追い出された。

 何人もの娘達が落伍していく中で、負けん気が強く帰るところも無い辰砂は必死で芸を覚えた。そして、不平不満を悟られぬよういつもほんのりと笑っているような、はかり知れぬ表情を浮かべた娘になっていった。
 その心の奥底に押し込めた憎悪やらあこがれやら つまびらかにする事もはばかられるような様々な想念は、辰砂が法華経を詠む時にだけ涌き出して地獄の魔物の跳梁ちょうりょうに散る火花となり、極楽の迦陵頻伽かりょうびんがの啼き声となるのだった。

 みずからの内にある地獄と極楽を自在に調べにのせる技を身に付けた辰砂に小観音は跡目を譲ったのだった。
 小観音のような高名な遊女は金持ちの贔屓ひいきをうけるだけではなく最高権力者に近付く機会さえあった。小観音は道楽者達が遊女の品定めをする時に まずは指を折る程に知られた女であった。先の上皇が鳥羽の御殿で催した管弦や今様の遊びにはしばしば呼び出されて侍った。ごく若い頃には御所の節会の舞姫を勤めた事もあったと言う。

 そうした意味では僧侶と遊女は似たところがある。さほどの門地の出でなくとも権力者の帰依きえを受けて宗教界で高みに立つ者は珍しくない。辰砂が了慧とみずからの運命に妙な暗合を感じ取ったのも無理からぬ事であった。

 同じ年頃の、しかも同じように捨て子で、さらに同じく法華経を芸とする了慧が自分とは裏腹に上昇しようとしている。その様子を目の当たりに見せつけられたのである。遊び半分に出かけてきた辰砂だったが、つい本気になった。了慧が辰砂の運を奪っているという亜鳥の託宣をすっかり信じたつもりはないが、この地獄も極楽も知らないようなあっけないほど無垢な顔をした若僧を破滅させてやりたくなったのだ。

 ことは思い通りにはこび 今、了慧は辰砂のひそむ堂の床の上で追い詰められている。

 了慧は辰砂の頭上で相変わらず法華経を詠み続けていた。声はよい、調子もあっている。

「取りあえず文言は覚えているようだがの・・・」

 これ以上の聞きどころはなさそうである。辰砂は用意の竹籠から麻布に包んだ香炉をとりだした。
 既に火はいけてある。床下の切り株の中央、了慧の真下に香炉を据え、辰砂はゆっくりと向きを変えると、微かに夜気の流れ入ってくる堂の奥側にまわった。堂の最奥の床下、ちょうど開山上人の木像が安置された厨子の真下辺りの羽目板をずらして辰砂は忍び入っている。その隙間から細い外気の流れができていた。

 風上にまわった辰砂は親指の先ほどの丸薬を取り出すと、半ばつぶすようにして香炉の灰に埋めた。
 芥子坊主けしぼうず、鬼芥子の果実を搾って汁を固めたものだ。
 やがて目に見えぬ幻惑の気が立ち昇って了慧を包むだろう。
 芥子が確かにくゆり始めるのを聞き定めようと、辰砂は闇の中で息をころした。

 了慧の読経は第五巻に差し掛かっていた。

  未来世中。若有善男子。善女人。
  聞妙法蓮華経。提婆達多品。浄心信敬。
  不生疑惑者。不堕地獄。餓鬼。畜生。生十万佛前。
  所生之處。常聞此経。若生人天中。

 澱よどみなく、けれど面白みもうすいまま流れていた了慧の読経が ふとつまった。

 山上の夜にはまだ虫も鳴かない。読経が止まればあとはろうそくの芯が燃える音が聞こえる程の静寂である。床下では闇だけが濃くなってゆく。
 続きははじまらない。了慧は思い出せないらしい。

 闇の下からうかがっている辰砂にふとからかい心が生じた。香炉に投じた芥子が燻るのを確かめたら早々に退散するつもりだったが突然わいたいたずら心に勝てなくなった。

第3章

辰砂しんしゃはそっと、静かに身を起こした。
 床下で首をのばすと辰砂しんしゃ了慧りょうけいにだけ聞こえる程の微かすかな声で続きを謡った。

  受勝妙楽。若在佛前。
  蓮華化生。於時下方。
  多寶世尊。所従菩薩。
  名日智積。

驚いた事に一瞬の間をおいて了慧はついてきた。

  啓多寶佛。當還本土。
  釈迦牟尼佛。告智積日。善男子。

 突然 床下から女の声で経文の続きがわいてきた事に何の疑問も持たないのだろうか。まだくゆりはじめたばかりの芥子けしがこんなに直ぐに了慧の感覚を狂わせるはずはない。しかし、了慧は夢から醒めたように嬉々として辰砂の経詠みについてくる。僅かな間や息継ぎの違いも辰砂にあわそうとしているかのようだ。

  且待須臾。此有菩薩。
  名文殊師利。・・・・・

夜気の中に焙り出された芥子が辰砂の経とともに立ち昇り、堂の上には峨々たるグンドゥラ・クータ=霊鷲山りょうじゅせんが出現した。
 マンジュ・シュリ(文殊菩薩)が千枚の花びらのある車輪程も大きい蓮の花に乗り、竜王の宮から海を割いて昇ってくる。
 教えの後継者たるマンジュ・シュリの乗った蓮華れんげは七宝に輝き、あまたの菩薩を従えて霊鷲山の世尊のもとまで天駆けてゆく。
 了慧の眼は沖天に舞う七色の蓮華座を追った。マンジュ・シュリを讃える求法者たちの声が中空に満ち満ちる。その妙なる響きは了慧自身の読経に唱和した。

  無数菩薩。
  坐寶蓮華。
  従海涌出。

 マンジュ・シュリに導かれて数知れぬ蓮の花が海中から咲き出した。菩薩たちを乗せた幾千もの蓮華はくるくると宙を舞う。真の悟りを虚空に現す偉大なる花輪。法華経の有り難さを讃えるマンジュ・シュリの妙なる声が響く。
 大乗の悟りに到達したものだけが目のあたりにする極彩色の天上の景色が了慧を取り巻いた。気付けば了慧みずからも、輝き回転する蓮の花に乗って霊鷲山の山上を飛翔している。法衣の袖が風をはらみ、ひるがえった袈裟けさが額をなぶる。
 大乗の花輪と一つになって高みへと駆け上がるうちに了慧の肉体は浄化され、打ち砕かれ、霧となり、揮発し、無限へと拡散した。消滅した了慧は漆黒に煌きらめく眩まぶしい絶無の世界を経て宇宙へと回帰した。
 解き放たれた了慧の意識は天体の運行を高みから見下ろし、やがて自ら星となり、砕け散って極彩色の塵と化し、金剛砂のように輝く水となって降り注ぎ、芳しい風となって吹き流れた。了慧の肉体から解き放たれものは、自らが膨張し変性しつづける宇宙そのものとなったことを感知した。

 了慧の声音はしだいに艶を深めてゆく。うっとりと続く頭上の声に確かな幻惑の兆しを読み取った辰砂はそろそろと後ずさりした。新緑の匂いのする外界の闇の中に這い出てから、辰砂は深く息を吸った。
 夜明けは遠い。芥子はそれまでにさらなる効果を生み出すはずだ。了慧を麻薬で脳乱させて動かぬ『失』を示させるのがねらいだった。 
 しかし、
「あの様子では芥子の効果は思惑通りとはいかないかもしれぬ」
辰砂はちらと思った。けれども不思議な事に もうどうでもよいように思われてきた。春中ずっと夢中になって了慧を破滅させようと企んできたのが嘘のようである。何の警戒心もなく嬉しそうに辰砂の経詠みについてくる了慧の真空のような無邪気さに、辰砂の嫉妬や焦躁は当たりどころをなくしてしまったのかもしれない。
 ほんの些細な事で焦がるる恋の想いが醒さめてしまうのに似ていた。夜目の利く辰砂はずんずんと堂を離れて山を下った。

 小屋に帰りついた辰砂は捨阿見を叩き起こし、水を汲ませて手足の泥を、そして髪についた芥子の匂いを洗った。今頃開山堂の内にはサアガラ龍王の娘が現れて三千大世界ほどの値打があるという宝珠を世尊の足元にささげているところだろう。その宝珠とひきかえに竜王の娘は男身と変じて悟りに至るのだ。

 ふんだんに水を使って髪を流す辰砂のために捨阿見は何度も井戸から水を汲みあげさせられた。細い月に照らされて、辰砂の丸い胸が二つの宝珠のように水を滴らせている。
「なにもあんな面倒な事をなさらずとも、坊様の一人くらい破戒させるのはわけはなかろうに」
捨阿見は思う。
 水を浴びながら突然くすくすと辰砂は笑いだした。

  皆見龍女。忽然之間。變成男子。

口ずさんだのは龍女が衆目の前で男子に変ずる下りである。
「女の体をちゃんと見た事もないだろうにねえ」
それでもすっかりわかったつもりの青坊主は龍女が男に変ずる様をどんなふうに幻想するのだろう。

「捨阿見よ 私はね、あの生成坊主を霊鷲山の高みまで押し上げてやったかもしれないよ」
捨阿見には何の事やらわからない。辰砂の機嫌がよいのは企てがうまくいったからだろうと思ったのも無理はなかった。辰砂は洗い髪を麻布で絞り上げると、小屋に倒れ込んでしばらくぶりの深い眠りについたのだった。

 翌日の夜明けから山内は了慧の参籠起請さやろうきしょうにおこった奇跡の話で持ち切りとなった。菜園の作男は捨阿見が来るのを待ちきれずに仕入れた噂を伝えに来た。鎌を磨ぎに来たと称して井戸端に座り込んだ作男の話は寺の縁起にも比肩するような綺談であった。

「了慧様が一心に経を詠んでいなさるとな」
作男は鎌を砥石に擦りながら宙に書かれた文字を読むように話した。ほんの半日程の間に何度も繰り返し語ったらしく、話のはこびがすっかりこなれている。

「夜半に御開山様の厨子の中からそれはそれは美しい声で御唱和なさったそうだ」
「なにがだ」と捨阿見がきく。
「観音菩薩様じゃ」
「どうして観音様とわかる」
作男は「このもの知らずが」という顔をした。
「開山上人様は観音菩薩様の生まれ変わりじゃもの。開山堂のお厨子の中の上人様の像に観音様がお拠り憑きになって了慧様をおたすけになられたのだ」
 辰砂の企みは失敗したらしい。後ろの小屋の中で寝ているはずの辰砂がこの話を聞いたらどうするだろう。捨阿見は心配になったが作男は話を止めようとしない。

「了慧様の読誦どくじゅもこれまでにも増してお見事で、見届け役の聖や預かりの皆様は霊鷲山に集まる尊い仏様を目前に見なすったそうだ」
「見たらなんなのだ」
「わかりの悪いお人だの。つまり、観音様が了慧様のお味方をなさったのだ。了慧様の起請は守られて御身の清浄が明らかになったと言う事だ。それだけではない。了慧様は当代一の読経博士じゃと長老方も言うておられるとよ」
「じゃ、了慧様の身持ちをうんぬんした落書はなんだったのだ。」
「それは了慧様に経詠みの極意をお授けなされようという観音様の御配剤よ。了慧様は立派に試練に耐えられて奥義を受けられたと言う事だわい」

 辰砂の企みは失敗どころか了慧を山上でも二無き存在にまで押し上げてしまったらしい。
作男は心ゆくまでしゃべると鎌をかついで去った。次の聞き手を探しにいくのだろう。

 その日の内に辰砂は旅支度をして小屋を出た。紅い織模様の絹小袖を小気味よく裾つぼまりに着付け、市女笠を被っている。もはや石工の女房のふりをする必要はない。よくもあんな薄汚れたなりでいられたものだと我ながら不思議だった。
 ふもとへの近道は海に向いた崖を抜ける。山道を急ぎ下ってきた辰砂は風に誘われて立ち止まった。
 枝振りも見事な根上がり松がそびえている。

 景色がよい。辰砂は地面から三尺程も持ち上がっている太い松の根に昇ってみた。
 海が見えた。午後の日ざしに波が光っている。南方の波間にぽっかりと淡路島が浮かぶ。
 古来、南海はるか彼方には観音菩薩の統べる補陀落浄土ふだらくじょうどが実在すると信じられてきた。この時代にも補陀落渡海を志して南へ向かって船出する者が何人もいたという。

 きらきらと光る波間の島影は話に聞く補陀落山のように浮き世離れした楽しげな場所に見えた。受領になって淡路にわたった男はどうしているだろう。

 辰砂は声に出して今様のひと節を謡った。

  観音大悲は舟筏  補陀落海にぞ浮かべたる
  善根求むる人し有らば 乗せて渡さむ極楽へ

 船を仕立てて任地に赴く受領の宴席でよくこの曲を謡い舞ったものだ。宴のざわめきが懐かしかった。

「・・・・・っ」
と、後ろに声にならぬ叫びとともに人の気配がした。
 振り向けば、石ころだらけの山道にべったりと僧侶が拝跪しているではないか。
 了慧であった。
 常のように衣を捌いて膝をつく余裕もなかったのか、袈裟は曲がり、袖を体の下に敷き込んだ不様な姿である。日課の花摘みの途中だったのだろう、傍らには花筺が転がっている。

 辰砂は松の根からぽんと飛び降りた。
「南無観世音菩薩様……」
了慧は震えるようにして聞き取れぬ言葉を唱えている。
 市女笠から下がった垂れ絹のはしが青剃りの頭に触れる程に辰砂が近寄っても 虫のようにひれふしたままである。

「さ、昨夜は御声を賜り霊鷲山のありさまをお見せ下さいました。
そのうえこうしてお姿をお現し賜うとは・・・・  勿体無いこと・・」

 地べたに額を擦りつけたまま了慧はわけのわからぬことをうわ言のように呟いている。
 了慧は昨夜厨子から聞こえたと同じ声で補陀落浄土の今様を謡う辰砂を観音菩薩と思い込んだのだった。なにしろこの山は観音菩薩の霊場なのである。開山上人の前に姿を見せた観音が再び現れても不思議はない。

「顔をあげよ」
 辰砂はおごそかに命じた。
 了慧がどんな顔をしているのか見てやりたい。しかし、了慧は更に身を縮めるようにして頭をあげない。

「顔を見せよ」
 辰砂は怒れる仏のつもりになって凛と声をはった。
 叱られた了慧はついにおそるおそる顔をあげた。額に泥、鼻の頭も土で汚れて取りすがるような涙目。見られたものではない。
 一瞬の後、辰砂は高々と足をあげて了慧の肩口を蹴りとばしていた。
 どうと仰向けにひっくり返った了慧の頭を跨ぎ越すと 辰砂はとっとと山を下った。

「辰砂さまぁ」
振り返ると 松の根方に再びひれふしている了慧の横を捨阿見が石臼が転がるようにして駆けてくる。

「辰砂様、お帰りならお供させてくだせいましよ。置き去りはひどい」
「帰るわけではないよ」
「ではどちらへ行かれるんで」
「決めていない。捨阿見はここで石工をしていればいいじゃないか。お前の抹香臭い名前には寺の石工がお似合いだよ」
「それでもなんだか窮屈でね。邪魔にならんようにしますから。それに」
捨阿見はまだひれふしている了慧の姿をちらりと見遣った。
「観音様のお供のほうがよほど御利益がありそうだ」
「阿呆っ、好きにおし」
辰砂は歩き始めた。日のあるうちに山を下りたい。行き先は道々考えればよいのだ。


 了慧はそののち長吏和尚、読経博士として宗門の頂点を極めた。
 辰砂御前は土佐に渡ったとも、美濃青墓あたりの傀儡子くぐつの群に同じ名乗りの舞い手がいたともいう。
 確かな事はわからない。



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