news every. 羽生結弦のパワーワードとNotte Stellata
2022年の終わり、「ケツの力」という言葉がトレンド入りしたそうだ。ちょっと遅れて羽生結弦がそのパワーワードを発したニュース番組を視聴した。クリスマス・イブにYouTubeで公開した「サザンカ」の曲にのせた動画制作の様子や、今後は東日本大震災の被災者と番組を結ぶスペシャルメッセンジャーとしても活動することなど高尚な内容が報じられた。出番の終わりで美しい立ち方に関してのキャスター氏とのやり取りがあり、「腹筋が必要ですね」というキャスター氏に応え、「ケツの力も」とさりげなくも明確に発音され、カメラにヒップラインが映るよう真横に向きを変えて手を添えるという間違いようのない具体的な肉体表現で補足してみせた。続けてプリンシパルの舞台挨拶のように気品あふれるレヴェランスで生出演を締めくった流れがあまりに自然だったので、我が耳が信じられなくて思わず巻き戻して聞き直してしまった。
発言の真意は想像するしかないが、筋肉、解剖学に関する造詣の深さから説明せずには居られなかったのかもしれないし、今後、非常勤としてであれニュース番組に出演していくならばあまりにも神格化されたイメージは邪魔になるという判断からとっさにぶちかましたのかもしれない。生放送でのシリアスなお仕事の話の直後にギリギリのパワーワードを発して空気の色をガラリと変えてしまうセンスには脱帽した。
私以外にもこの羽生の「ケツの力」発言でワクワクされた方は多いと思う。ひとつには、失言なし、いつも完璧な受け答えをする羽生がそこらの男の子のような言葉で何だか嬉しそうに普通の話をすることに親しみとか安心感を感じること。もうひとつはあの誰もが意識しているけれど大っぴらに語ることが許されるかどうかが微妙な「美+α」を備える羽生結弦のヒップ=ケツについて部分的にもせよ「解禁」されたこと、がその理由ではなかろうか。
唯一のチャンスかもしれないので、このどさくさに乗じて実は以前から深追いしてみたかった彼の「ケツの力」について書いてしまおうと思う。
私が羽生結弦を初めて観たのはおそらく2011年のNHK杯ではなかったかと思う。フリーの「Romeo+Juliet」だ。エネルギッシュであると同時に繊細さを備えた伸びやかな滑り、演技後もキラキラと輝くように表情豊かで、今までにない才能が現れたと感じた。ソチ五輪も中国杯の流血のファントムもリアルタイムでテレビ観戦した。しかし、「これはどうしてもいつか生で見に行かなくては」と思ったのは平昌五輪の「Notte Stellata」、エキシビションのオオトリで登場した時だった。
もともと競技プログラムの方に関心が強かったし、東日本大震災の犠牲者に捧げられたエキシビナンバー「天と地のレクイエム」が衝撃的過ぎ、正視することが辛くてエキシビションを避けていたために「Notte Stellata」を見たのは平昌五輪が初めてだった。
「Yuzuru Hanyu !」のコールが響き、画面いっぱいに羽生の後ろ姿が映し出される。上半身は真っ白、羽根とビジュウで飾られたオデット姫のようなコスチュームだ。広く深く切れ込んだカットが細身のシャンパンフルートグラスみたいな背中から腰への曲線を引き立て、フロントは高めで背中に向けて斜めに下がっていくウエストが黒いベルベットに包まれた下半身のラインへと否応なく視線を誘う。
青く照らされたリンク上に優美な弧を描くストローク、白鳥の羽ばたきさながらの腕の表現、キャメルからシットへ、ビールマンへと液体金属のように流動するスピン、高く、遠く飛翔するアクセルジャンプから渦巻く星雲のようなツイズル。スケーティングそのものから複雑なステップ、ビールマンスピンの綺麗な解き方まで、羽生のフィギュアスケートがさらに磨き上げられ、深まっていることを競技プロ以上に知らしめるものだった。
演者の呼吸と地球の自転、観る者の鼓動までもシンクロさせていくような悠揚たる支配力を感じさせる滑り。その美しい背中のラインと揺るぎのない運びは、私にはバレリーナの踊る「瀕死の白鳥」よりも能の「中之舞」に近いように見えた。
「運び」とは能の基本となる歩き方のこと。かかとを極力上げず、歩行の振動を一切上半身に伝えないように進む。速い動きで、くるくると回り返しても頭の位置が上下しないことが大事であり、それこそ滑るように進退することが求められる。能と言えばゆったりとした動きを想像される方が多いかもしれないけれど、神様や鬼、修羅道に落ちた武者の霊などは激しい動きも多い。霧の向こうに覗く幻想世界や神仙との邂逅はもちろん、犯した過ちに責められる修羅物であっても、現世とはかけ離れたように格調高く美しく見せようという能楽のコンセプトはこの「運び」があってこそ成立する。
亡夫・光太郎の舞台「龍田」の一歩の中にも序破急がある運びの美しさ、売られてゆく少女を取り戻すために芸尽くしを披露する「自然居士」で見せた中之舞の華やかさは今も忘れない。
光太郎は容姿に恵まれた人で、ことに後ろ姿が綺麗だった。すんなりと姿勢の良い肩から袴の腰板まではもちろん、袴に隠れたヒップから太もものラインが自慢だったようだ。若いころ、腕の良さで知られた紳士服店に仕立てを頼むことになり、いざ採寸となった時のこと、ロマンスグレーのテイラーが「**子さん、ちょっといらっしゃい」と奥方をカーテンのなかに呼び寄せたという。アシスタントでも頼むのかと思っていたら、テイラーは光太郎の後姿を指して「ご覧なさい。素晴らしいヒップでしょう!」と嬉しそうに云ったそうだ。こんな話を自慢する光太郎もアレだが、5歳からの鍛錬で作り上げてきた姿勢と筋肉が美しい運びを支えていたことは間違いない。
さらに、光太郎はいつも姿勢や所作に気を配る人だった。スーツと着物では歩き方も身のこなしも違っていたし、袴姿と着流しでも差があった。服装やシチュエーションに対して一番相応しく動こうとするのは役者の本能だろうか。誰もそこまでは見ていないかもしれないが、日々のそうした緊張感が肉体と精神に及ぼす影響は小さくない。
羽生はご両親から優れた容姿を授かっただけでなく、訓練によって計画的に筋肉や体幹を構築し、より形よく見せるために姿勢や動きも研究しつくしているのだろう。ちょっとしたアドバイスでキャスター氏の立姿が見事に美化されたことはそれを端的に示している。そのポイントが「ケツの力」であると聞いて、改めて滑らかなスケーティングと、浮遊するように進む能楽の運びには「ケツの力」でつながる共通点があるのかもしれないと感じた次第である。
いつの日か、どなたかお詳しい方が解明してくださったら嬉しい。
PS:
あけましておめでとうございます。
羽生選手に関してはイブのYouTube「サザンカ」に内村選手との対談、紅白にクラシックTV…
追いきれないほどいろいろありました。
なのになぜ新年早々「ケツの力」か? と云われそうですが…
私なりに限界突破に挑んだ結果、なぜかこうなりました。
東日本大震災にかかわる羽生選手のプログラムにはうかつに触れることができない何かを感じます。ことに「天と地のレクイエム」は。
でも沼の底が抜けてしまった「Notte Stellata」についてはお棺の蓋を閉じる前に書いておきたいと思っていました。結局描き切れてはいませんが。
いろいろ見逃してやっていただければ幸いです。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
※中之舞
能の舞事のひとつ。舞の基本とされ「熊野」「猩々」「草紙洗」など等様々な曲目で舞われる。
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