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お盆2024

おばあちゃん住んでいた地域のお盆はふつうよりもちょいズレなのでちょっと早めにいってきた。

毎年お墓参りにおばあちゃんたちと行ってたなあと思い出して、お供物をちょっとずつ食べたなあとか、駅からの道が遠く感じてたけど実際はそんな遠くないなあとか、終わったらアピタで買い物したなあ。とか、なんてことないいつもの夏の思い出を、この先もずっと忘れないように脳トレのように思い出していた。

お墓につき、「おじいちゃん、おばあちゃん、来たよ〜」と言ったら、1匹のアゲハ蝶が墓石の周りをヒラヒラと舞った。周りに蝶々がいるわけでもないのにここだけに。
私は都合の良いスピなので、蝶々がこんなところに?!というときはだいたいおばあちゃんだと思うようにしている。

今回はひとりでおばあちゃんとおじいちゃんのために手を合わせている事実に急に悲しくなり、突然しくしく泣いた、新盆でも無いのだけど。やっぱり1人だと、劇場がはじまってしまうのよね。
わたしはものすごくわがままなので、泣いたら会えると思ったのかもしれない。
隣で畑作業してる別のおばあちゃんが心配してくれてたなあ🙂‍↕️

不思議なもので、いつも自分の心にいると思っているおばあちゃんも、お墓に着くとお墓で待っていたような感じもする。よく来たね。そんな声が聞こえる気がする。その温かさにも涙が込み上げたのかもしれない。汗だったかもしれないし。

それで桶とか戻して境内の方に戻って行ったら檀家でお掃除してた地元のおじいちゃん7人組が朝から酒飲んでて「もうお墓参り終わった?!終わったら一緒に飲もうよ、ずっと声かけようって決めてたんだ!!!」とポップに声かけてもらって涙が引っ込んだ。
正確に言うとお堂のトイレが多分今使われてない方しか知らなくてそこに行ってしまってあんまり綺麗じゃなくてそこで涙と尿意は引っ込んでた。
「あっ、わたしおしっこしたくなかったわ。」
と汚くて行くのやめたんじゃ無いですよ、と仏様に気を使うようにデカめの独り言を言って帳尻を合わせた。

おじいちゃんたちはわたしが境内に入った時から、ここら辺の子じゃ無いなあと思って、終わったら絶対声かけようと話していたらしい。
東京から来たと言ったら、おばあちゃんとおじいちゃんの代わりに手を叩いて喜んでくれた。
おじいちゃんたちの奥さんとの出会いとか、昔はあんなに美人だったのにとか、どうやって旦那に出会ったんだとか、ひっかけたのはどっちだとか、東京に勤めてたら聞かれない痺れる質問ばかりでそれはそれで楽しかった。
「こう言う質問していいかわかんないけどさ!!」と枕詞で言えば大丈夫だとおまもりのように毎回こさえていたけどあれ意味ないなあ。(全然怒ってない)

わたしもいつかこちらの方に住むことになると思うんです。嫌々ではなくて、住みたいんです。東京はもういいんです。とおじいちゃんたちに意向を伝えてみた。「田舎でつまんないって言うよ」とピシャリと言われてみんなでゲラゲラ笑ってた。
まだ若くみられているんだと思って、なぜか安心した。「でもまた来年も会おうよ。同じ檀家じゃん✌️」と言われた。

こんなことお墓参りをしてて一度もなかったし、正直こんな集まりごとがあるようなお寺だと思ってなかった。きつねが化けていたのかもしれない、とあとからそんなばかなことを思いつくほど、夢みたいなひとときだった。(夢みたい、ってものすごく嬉しい時とかに使うけど)

親戚が車でお寺までわざわざ迎えにきてくれたときには、わたしは7人のおじいちゃんに囲まれてビールをもったりお茶をもったりお菓子を頬張ったりしていたのでおじさんたちは爆笑していた。「おせわになりました(私を指差し)」とおじさんがおじいちゃんに言ってくれた。車に乗ると「やるねえリョコちゃん。」とひとしきりゲラゲラまたみんなで笑い、1年ぶりの再会はすんなりと幕開けた。
親戚もかぞく、離れていてもかぞくなんだ、と温かい気持ちにまたなった。
そのあと、会えると思ってなかったいとこにも会えたし、いとこがまだ成人じゃないって聞いてえぇ?!そんなに歳の差が?!?!と今更に思ったり、なんかお盆って感じだった。そして至れり尽くせりだったし、ものすごく幸せだった。

帰りは私が滞在している夫の実家まで送ってもらい、玄関に夫のお母さんが出てきてくれて「ありがとうございます、リョコちゃんが1日おせわになりました。」と言ってくれた。ここはみんながわたしの保護者だなあといつまでも末っ子全開で最後までしあわせなきもちになったのだった。

その頃、彼はというと仕事終わりに釣りをして、「釣りできたよ!見せたかったから残してたよ!!」と小魚5匹を見せてくれたのも夏休みだなあと思ってよかった。ここにも末っ子がいたか🦭


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