閲覧注意, 僕の生い立ち②

こんにちは、りょうのです。
僕の生い立ちを綴っておきます。
ショッキングな内容になっております。
苦手な方はブラウザバックをお勧めします。

②です。中学3年生まで。

中学1年生

プログラミングを始めた。
趣味でもあるが、
大元の目的は「一人で生きていく為」だ。

前回、記述し忘れていたが、
うちの家族は男三人兄弟。
僕は末っ子。

思春期真っ盛りの青年三人を、
母親は一人で育てていた訳だ。
家事も仕事も一人で。

ストレスで髪が抜け落ちていた。
寝床の枕が髪の毛で埋まっていた。
もう、見るに無惨だった。

俺がこれ以上、負担を掛けるわけにいかない。
そう思って将来に向けて、勉強し始めた。
小6の頃はグレていたが、
中1からはむしろ”イイ子”になった。

「ヤンキーとイイ子は紙一重」
これは言い得て妙だ。
どちらも、周りからの注目を集めたい。
嫌われてでも、他人から認めてもらいたい。
その動機からの行動だろう。

やはり、中学校でも空気が読めなかった。
クラスでの印象は、なんか変で鼻につくやつ。
抜けてる癖に、なんか賢ぶってるやつ。
そんな風に映っていたんだと思う。

有難いことに、友達はそれなりに出来た。

だが何処か、違和感を憶えていた。
まだ、親友に裏切られたことを、
拭いきれてなかった。
むしろ引き摺っていた。

当たり前だ。あんだけの惨状だ。
人を信じることが、困難だった。
誰にも相談出来なかった。

母親は見るからに、手一杯。
友達にもこんな重い話が、出来るはずがない。
信頼出来る人なんて、誰一人居なかった。

中学2年生

プログラミングは、
みるみる内に上達していった。

全国有数の天才少年少女が集まる会に、
企画書を書いて提出した。

なんと、経験たった1年にも関わらず、
書類選考が通り、東京へ行くこととなった。
これは快挙だった。

しかしここでも、挫折があった。
僕は周りより、劣っているように感じた。
人と上手く話せなかった。

自分の考えをちゃんと正しく、
まとめて伝えることが出来なかった。
プレゼンも、俯き小声だった。

とにかく悔しかった。
もう負けたくないと、心から思った。
そんなこんなで、大恥をかいて帰ってきたが、
ここで得た経験は、一生物だった。

僕はやる気に満ち溢れていたが、
ここで更に大きな挫折が訪れる。

イジメだ。
あるきっかけ(これは僕も悪いのだが)で、
野球部の陽キャに目をつけられた。

僕は、給食を取りに廊下に出ていった。
そいつは、周りの目が無くなった隙を狙って
僕の腹をぶん殴った。

計画的犯行だ。こいつは馬鹿に見えて賢い。
廊下で、すれ違いざまに、暴言を吐かれたり
掃除をしていたら、急に背後から蹴られた。

本人は見て見ぬ振りだ。計算高い。
悔しいが、アイツは賢かった。
僕はやり返したりしなかった。

そんなこんなで、僕は不登校になった。

中学3年生

不登校は脱したが、また新たな問題が起きた。
起立性調節障害になった。
朝起きれなくなった。

行きたくても学校に行けなくなった。
次男も同じ疾患に罹っていた。
遺伝も関係しているらしい。

学校に、
2日行ったら、1日休む。を繰り返していた。
次第に僕は、クラスから浮くようになった。
サボってると思われていたからだ。

反論の余地がなかった。
その頃は診断されていなかったから。
次第に、僕もサボってるような気がしてきた。

もう、変に反論するより、
サボってると思われた方が楽な気がしてきた。

クラスLINEには入れてもらえなかった。
遊びにも入れてもらえなかった。
クラスメイトからの視線が痛かった。

先生からも、かなり強く言われた。
やはり、サボってると思われていた。

それでも僕は頑張って通っていたが、
受験が終わった頃に、燃え尽きた。
不登校になった。

卒業式には、出ないつもりだった。
だが唯一、三年間同じクラスだった友達が、
わざわざ僕の家まで来て、連れ出してくれた。

嬉しかった。
必要とされている気がした。
こいつは一生大切にしようと思った。
今も繋がりがある。あの時はありがとう。

中学校生活、ここに書いてないだけで、
辛い思い出はもっと沢山あります。
本当に言い出したらキリがないです。
なので、印象深いものだけ取り上げました。
また、高校生以降も、気が向いたら書きます。

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