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なぜ動画クリエターを目指すのか?〜社会人6年目で6社目の俺の夢

 この記事はデジLIGアドベントカレンダー2022 4日目の記事です!

「りょうき」って奴の来歴

南国フィリピンのリゾート地であるセブ島にたまたまバカンスで行っていたバツ4だった日本人の父親が、現地と華僑のハーフで高校生だった母親と意気投合し、一人っ子としてアジアのラテンと言われている環境で生まれた。物心がつく前から両親と離れて暮らし、過保護だった祖母に預けられ、幼少期から愛情をたっぷり注がれて育った。それがかえって足枷となっていつか世界に活躍できる人になりたいと決心し、一生懸命勉強していた。

小学校に入る前に何度か日本に遊びに来ていたが、14歳の時に夏休みのため2ヶ月間遊びに来てQOLの高さにビックリ仰天した。昔からエンターテイナーになるのを夢見て、歌手を目指していた。どうも日本では「フリーター」という生き方があるようで、フィリピンでまともに会社員になるよりお金が稼げると知って、絶対日本に住むって決めて、親の反対を押しきって15歳の時に日本語がほぼわからない状態で移住した。

日本に来たタイミングは実に同年代が高1になる春だったが、俺は高校受験の存在も知らず、夜間中学校に進学した。その頃、週末は某大手芸能事務所の養成所に通っていた。事務所の人に「学力は大事だ」と言われたのを鵜呑みにして、またガリ勉に戻って、一旦エンターテイナーへの道を断念した。

17歳で都内の高校に進学し、猛勉強の末、なんとか某国立大学に20歳で現役合格した。大学で中国語を学び、1年間台南にも留学していた。25歳で社会人になり、鬱や夢への葛藤の繰り返しでキャリアが変わったものとなった。社会人6年目にして、5回転職している。完全にジョブホッパーと言える。

そもそもなぜ動画編集を勉強したいのか?

今やYouTuberになるのは多くの子どもたちの夢だが、英語で教育を受けていた自分はまさにYouTubeが出た2005年から初期段階にして海外の動画をたくさん見ていた。当時はまだブロードバンド回線は今より遥かに遅く、映像の画質もだいぶ劣っていた。しかし、世界の誰かが自分への励みとなるような作品を作っていることに快感を味わった。

今までドラマ、映画、PV等の撮影現場に参加したこともあったし、大学生から今までテレビ番組の字幕制作に携わったこともあり、映画俳優になるための勉強もしたことがあり、動画を観るだけでなく、制作する側にそもそも興味はあった。

Gen Zのインフルエンサーに溢れかえっている今日、多種多様なコンテンツが世に出され、かけられている費用も膨大なものもざらにある。社会人になってから芸能事務所に所属したことがあり、その際にTikTokをやるよう促され、バズった動画が何本かあった。最もバズった動画は小中学生が好きそうなネタをわずか10秒くらいの動画でおさめて、現時点で再生回数が410万を超え、16万いいね、7700シェアされている。TikTokのフォロワーも1万3千人を超えたが、誹謗中傷でちょっと疲れてしまい、燃え尽きてしまった感じで2021年以降にほぼ更新しなくなった。それ以降は認知してくれていた方に動画が好きだった、ためになったという声も聞いたが、結局モチベーションがあまりあがらず。

2022年のGWあたりに転職して、最初は仕事に慣れるまで仕事にばかり焦点を当てて生活をしていた。転職から半年くらい経とうとして慣れたこともあり、新たに習い事を始めたいと思った。何度も諦めては、日本に来た当初の夢を完全に諦めきれず、また芸能事務所に入るか、専門学校や大学に入り直すかどうかをものすごく悩んでいた。

身近にYouTuberになって顔出しせずに家を建てられる程稼げるようになった友達がいて、考えさせられた。頑張れば動画クリエターとして好きなことを発信してそのお金で生活できることが叶えられる夢なんだと気づかされた。

元々簡単な動画編集を作ったりしていたが、もうちょっと自由自在に作れるようになりたいという思いで近くのスクールに見学しに行った。その学校が
デジLIG川崎校で、勘を信じて勢いで2022年11月から動画コースに通い始めた。アニメーションの勉強は中学生の頃に今やなきFlashアニメーションを作って以来だったので、とてもワクワクしながら日々操作にまだ奮闘して学習を進めている。

今後どうしていきたいのか?

もちろん期待しすぎても思い通りに物事がいかなかったら傷つくのは自分だけだし、YouTuberになりたいのは一攫千金を狙うためではなく、一フィリピン人として生まれ育った者が人生の半分を日本で過ごし、きっと当たり前となったことでも日本に来るのを夢みる人たちにとっては新たな学びになるのではないかと思い、彼らのためにそういった役立つ動画を作るのが動画作りの勉強の動機となっている。

今の仕事は遅くとも2024年春には辞めようと強く思っている。それまでにスクールのカリキュラムを無事終わらして、インプットしたものをそれなりにアウトプットできるようにするのを目標としている。紆余曲折してしまったとはいえ、フリーランスで動画クリエターとして生計を立てられるようになるのをゴールにして突っ走っていきたい。


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