見出し画像

G7サミット後の広島

山陽新幹線こだまで広島駅に到着した後、錦川鉄道に乗車するため岩国駅へと向かうが、その前に少し時間ができたので、広島の街を散策することにした。ちょうどG7サミットが終了してすぐのことであった。緊張感から一転して、普通の日常が流れていた。

比治山神社へ

広島電鉄(通称:広電)5号線に乗車し、4つ目の停留所・比治山下駅で下車する。比治山神社は1つ手前の停留所・段原一丁目との中間に位置している。

比治山下停留所は、広島市現代美術館の最寄り駅でもある。

ごく簡単に比治山神社の歴史について紹介する。
元々は黄幡大明神と称し、比治山の南に鎮座していたが、1646年に現在の社地に移して鎮守社となるが、明治期に神仏分離令が発せられたのち、社名を改め比治山神社と称し、その後本殿・拝殿を再建した。1945年8月6日の原子爆弾の投下により、本殿・拝殿は焼失したものの1947年に再建される。2007年に現在地ご鎮座350年記念にとして新社務所等の整備、元号改め令和元年は手水舎改修工事が行われている。
さて、ここを訪れたかったのは季節限定御朱印を入手したいからである。

比治山の麓にある。
毎月絵柄が変わる。赤のヘルメットは広島東洋カープを表しているが、5月はG7サミットにちなみ、G7と書かれていた。

広電で宮島口へ、リニューアルされた宮島の玄関口

段原一丁目から5号線に乗車し、広島駅へ戻る。
少し休憩してから、2号線に乗車し広電宮島口へと向かう。
広電は広島の中心部、八丁堀、紙屋町、原爆ドームを経由し、西広島から先はJR山陽本線と並走している。所要時間で見れば、JRがおよそ30分であるのに対して、広電は約70分かかっている。時間差はもとより駅数でも比較にならないが、中心地へのアクセスとして、細目に停留所を設けることで、広島市民の足として定着していることがよくわかった。

広電宮島口まで広島駅から数えること39駅。
バリアフリー化にいち早く取り組み、2号線を走る電車は大半が低床車両で運行されている。
広島駅から乗車した最新型5202系。1時間以上乗っていたが大変快適であった。
低床車両のさきがけ5000系

広電宮島口に降り立ち気づいたことがある。
ものすごくキレイになったのである。宮島口を訪問するのは約15年ぶりのことであったが、当時はここまできれいではなかった。周辺では道路改修なども行われていたので、G7サミットに合わせて改修が行われたものと考えられる。
何より、宮島へのフェリー乗り場までの動線が大きく改善され、広電からフラットで船着き乗り場へ向かいことができるようになっていた。

ヨーロッパのトラムを想起させる駅舎である。シンプルでかっこいい。

JR宮島口までは徒歩5分程度、ここからは山陽本線で一路岩国へ向かう。

ホームに建立されてた銘板

原爆ドームに思いを寄せる

最後に、この場所を訪れないわけにはいかない。
原爆ドームである。
今年のG7サミット(広島サミット)は、例年のG7サミットとは種子が多く異なるものであった。世界で初めて被爆地で開催されたことだろう。原子爆弾による壊滅的な被害を受けながらも復興を遂げ、世界の恒久平和を希求する広島において、G7首脳が参集し、対話することには大きな意味がある。
ウクライナの大統領が1日だけとはいえ、実際にこの地に足を踏み入れたことは世界中に大きなメッセージとなったことと思う。
中心地にありながら、78年の時を超え今もなお当時の面影を残している。
外国人の姿を数多く見かけた。彼らはどんな思いでドームを見つめていたのだろうか。戦災遺構を長きにわたって保存し続けることが我々に課せられた課題ではないかと思っている。

相生橋から撮影
この地に立つと、ゆったりとした気持ちになった。奥には相生橋を渡る広電も確認できた。
1945年8月6日の朝まではどんな風景、日常だったのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?