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住んでいた家への愛着は、何で決まるのだろう。

熱海で居候(?)している家を引っ越しました。

インターン時代から含めて数えると、この狭い街で早くも5軒目の家です。(今回は初めてのオーシャンビュー物件で朝日が拝めそう!!)

しかし、今朝まで過ごしていた家は、今日から内装の解体工事。引っ越し作業中から解体業者が作業を始めるほどのギリギリなスケジュールでした。

解体作業がスタートするまでは、正直、「あぁ、また内装を解体してリノベする工程が始まるな〜」ぐらいにしか思っていませんでした。

ですが、実際の解体の様子を目の当たりにすると、いつもと違う感情が押し寄せてきて、気づいたら写真を撮っていたんです。不思議。

この感情は忘れないうちに書き残しておかないといけない気がしたので、今日は、『この不思議な感情』について書いてみます。

住んだ家が解体されるのは初体験

僕のことを昔から知っている人ならご存知かもしれませんが、実は内装の解体作業の現場に出くわした経験はかなりの数になります。

(化学工学専攻、元カフェ店主、現在ブロガー兼ライターの経歴からは想像つかないかもしれませんが)解体の手伝いをした数だけでも10や20では足りないぐらいになるんじゃないかと思います。

そんな僕ですが、よく考えてみると「自分が住んでいた家の解体現場」に足を踏み入れるのは初の経験でした

これまで経験してきたのは、あくまでも『他人様の思い出が詰まった場所』であって、自分の思い出は(多少はあれど)深いものではなかったのかもなと。


家への愛着は『思い出の数』で決まるわけじゃない

で、ふと思ったんです。

「とは言え、この家にそこまでの思い出が残ってるわけじゃなくね?」と。

もちろん、この解体後にリノベされて作られるシェアハウスのプランニングに携わったり、同居人たちと冬の屋上で花火を見たり、(丸2日間寝込んだり)、と思い出がないわけではありません。

でも、ほとんど寝に帰るだけの生活だったことを考えると、「思い出の数」ではインターン時代に過ごした家の方が圧倒的に多いわけです。もし思い出の数で愛着の度合いが決まるのであれば、今の感情は不思議だなと。

過ごした日数も、家にいた時間数も、同居人と同じ釜の飯を食べた数も、圧倒的にインターン時代に住んだ家の方が多いはずなのに、解体されている今朝まで住んでいた家の方に愛着を感じてしまっている。

つまり、家への愛着は「思い出の数」で決まるわけじゃないのかもなと。


家への愛着は、何で決まるのだろう

きっと、今日解体の様子を見ながら僕の胸に押し寄せてきた感情は「解体される家への愛着」であり、その感情が湧き出てくること自体に、僕自身は違和感を抱いてしまったということなんでしょう。

正直、自分の中では熱海の家の中ではインターン時代の家の方に愛着があると思っていたので、自分でも気づかないうちにこれほどまでの想いを今朝まで住んでいた家に募らせていたのかと思うと、不思議でなりません。

家への愛着は、何で決まるんでしょうか。

この記事を書きながらその答えが見つかる気がしていましたが、これは「すぐわからないもの」の類いなのかもしれません。

わからないならわからないなりに、フッと腑に落ちる瞬間がくるまで頭の後ろ側で考え続けてみたいなと思います。


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というわけで、今日の記事は以上です。
よく考えてみると、熱海で住んだ5軒とも誰かと同居してるんですね。それも不思議な現象です。

では、またあした〜!

▶︎ 合わせて読んでほしい記事 ◀︎
>> 世の中には「すぐわかるもの」と「すぐわからないもの」の二種類がある。
>> 他者を理解しようとすればするほど、自分のことがわかってくる。
>> その街を選び取った人がいないと、街は消滅していく。


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