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それは、無敵の人ではなくて「無難の人」

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何度か別のエッセイでも書いたことがある気がするけれど、私は常に、大きな道路の近くに住んでいる。

それは、昔中学生だった頃、細い道路を自転車で走っていたら、変な人にクルマで追いかけられたことがあるからで、その経験から夜遅い時間に細い道を1人で歩くことにどうしようもない恐怖感を感じてしまうことが原因である。

だけど、しばしば私が住んでいる場所について話すと「どうしてわざわざ交通量の多いところに住んでいるの?」と言われる。「いやいやそんな危ないことなんてこの安全な日本で起きないでしょ」と言われたこともある。全然普通に何度も怖い目にあったこと、あるけど。

数年前、お子さんがいらっしゃる方が「渋谷は段差が多いからなかなかベビーカー持って行きづらいんだよね」と言っていた。全然気づかなかったが、言われてみれば段差が多い街だと気づいた。

最近、ネットでしばしば「大変な立場になってみたらそんなこと絶対に言えないでしょ」と言いたくなるニュースを見かける。

いつか、「ポテサラじいさん」という言葉が話題になったこともあった。スーパーで主婦がポテトサラダの惣菜を買おうとしたら、おじいさんに「ポテサラくらい自分でつくれ!」と言われた、というツイートがバズったのだ。

「自分でポテサラ作ってみたら、その大変さがわかる」「忙しい中毎日御飯作っている人の気持ちがわかっていない」というコメントを沢山見た。

無敵の人ではなく「無難の人」

「無敵の人」という言葉がある。

いわゆるインターネットスラングで、”失うものがないからこそ、犯罪に手を染めてしまう人”のことを指す言葉だそうだ。

最近は奇妙な事件が起きて、その犯人に孤独なバックグラウンドがあると、すぐ「無敵の人だ」「また無敵の人が生んだ事件だ」というようになった。

私は何かが起こるといつも真反対のことを考える癖があるので、しばしば「無敵の人の反対ってなんだろう?」と考えていた。

なんでも持っている人。常に "持てる者" 側の人。

そして最近、私はそれを "難(むずかしいこと、大変なこと)" がない人という意味で、「無難の人」と呼ぶようになった。

無難の人は、いつも特権階級側だったり、環境に恵まれていたりする。

名前をつけてみると、「無難の人」が「無難の人」であることで世の中で怒られている事例も見かける。

例えば、先日岸田首相が育休中のリスキリングを提案して炎上した。本当に意図したところはわからないが、これこそ当事者の声を配慮していないと、多くの人に感じられてしまった事例だったのではないか。そして、それは仕事を休止して育児をしたことがない「無難の人」だからこそ起こったのだ、という声もあがっていた。

特権階級で、マジョリティな人生を歩んできたからこそ見えないことがある。「変えたくない!」と古い事柄を固持しようとする。マジョリティだけが見えているだけじゃ不十分な今、この「無難の人」が問題視されるようになってきたのではないかと思うのだ。

「無敵の人」ばかり話題に上がる世の中だけど、実は正反対の「無難の人」も名付けてみれば、周りに沢山いる。名付ければ、どうすべきか議論できる。私たちはもっと「無難の人」についても、話さなければならないのではなかろうか。

誰でも、無難の人になる

ただ、気をつけたいのは、誰でも——特にこんな長い文章を読んでくれるような人は、油断していると自分がすぐに「無難の人」になる可能性があるということだ。

私だって、地方国立大学を卒業して、大手企業に入り、インフルエンサーになってフリーランスとして独立しているのだから、とある角度から見れば立派な「無難の人」だろう。

「無難である」。それは、感謝すべきことであると同時に、思慮深くならなければならない条件になっていると思う。

東京大学の入学式の祝辞で「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください」と言われる世の中で、

「あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください」と言われる世の中だ。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。(中略)あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

平成31年度東京大学学部入学式 祝辞(上野千鶴子)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

自分が「無難」であることは、努力以外の要因が占める場合が多い。だからこそ世の中を前進させるためにも、いつも自分が「無難の人」として、見えない声を無視していないか耳を澄ませ、間違えたときには誠実に対応する自分であるよう心がけたい。

[おまけの日記]今年、私は京都と東京を行き来している

様々なエッセイやSNSでちらちらとお話していますが、今年は実家に帰る回数を増やそうと思っています。

というのも、マガジン読者の方々には正直にお話すると、

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