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大切な(たぶんこれからの)習慣は突然に
私がこの『note』を始めたのは、仕事をしている「私」を切り離し、読書と空想が大切な習慣だった子供の頃の「ワタシ」を取り戻すためでした。
初めての応募で、「ワタシ」が唯一心がけている「大切な習慣」について書くつもりでいました。
ところが仕事をする「私」に、まさに今日「これから日々の大切な習慣にしよう」と思う事が起きたので、あえて文体変え、「私」として投稿することにしました。
私は、子どもと長ければ10年ほど関わる仕事をしています。
その中で時々、卒業生が訪ねて来てくれることがあるのですが、ここ数週の間にその嬉しい訪問が数件重なりました。
どの卒業生も私が関わっていた時には、思春期ならではの問題を抱え、葛藤していました。
私なりに一生懸命やって来たつもりでしたが、最終的に私が彼らの助けにどれだけなれたのかは、今でも自信がありません。
私の仕事はほぼ保護者の代弁者であると言えます。
親の言うことを聞かなくなった子供たちを、両者いずれかの目標を達成できるように手助けできるのが理想です。
お父さん、お母さんが普段言っていることをたまたま口にすると、
「それ、いつも親に言われる」
と子どもは返答します。
決してその顔は嫌がっていません。
親と同じ考えであることは、彼らにとっては私へのちょっとした信頼になります。そして無意識に「やっぱりお父さん、お母さんが言っている事は正しいんだ」と確認しているのだと思います。
それでも私の仕事は、どんなに私自身が信頼されようと、どんなに必死になろうとも、子ども自身が変わらなければ、結果が得られないことがほとんどです。
成果が出ず、志半ばで別れることになると、自分自身に無能の烙印を押されたような気分になります。もっと厳しくすれば良かったのか、もっと違うアプローチの仕方はなかったのかと、後悔と自責の気持ちに押しつぶされそうになる事もあります。きっとこの気持ちは子育てがうまくいっていないと感じている親も同じだと思います。
子育ては短い期間に多くて数回、1発勝負と言っても大袈裟ではないでしょう。
しかし私の仕事は、何人もの子どもたちの成長を見届けることができます。
特に最近は、問題を抱える子供の数が増えてきています。不登校も過去最高だと目にしました。私の元にもそういった子どもが少なくありません。
私が子供だった時のように、愛のあるスパルタが許される時代でもありません。
もっと頑張れと安易に言ってもいけません。
かと言って、やらなくていい、頑張らなくてもいい、も正解ではありません。
三者三様に苦しい。
今回の数人の卒業生の訪問で私が思った事は
「もっと子供の成長の可能性を信じよう」
ということでした。
それは黙って見守る、といことではありません。
また、「信じているよ」と声をかけることでもありません。
目の前の子どもたちには成長できる可能性があり続けるということを私自身が信じること。
心配して悲観的なことを言ったり、必死な想いを怒りとしてぶつけるのではなく、もっと子どもの可能性を信じる。
そういう私から出る言葉はきっと、もっとポジティブに子どもたちに響くはずだと思いました。
それくらい卒業生の姿は見違えるものになっていたのです。
その中には自分自身に追い詰められて、目を合わせられなくなった子もいました。
辛い状況のまま別れた子もいます。
何を聞いてもため息で返していた子たちが、真っ直ぐに目を見て、自分の言葉で、近況を話してくれました。
もちろん、乗り越えられたから会いにこようと思ってくれたのだと思います。同窓会に現れるのは、今の人生に満足している人だけ、と言われるのと同じかもしれません。
ただ私が言いたいのは、
その変化がこちらの想像以上だった
ということです。
私自身もそうでしたが、どんなに反抗していても、親に言われたことは知らず知らずに自分の一部になっていくのだと思います。
お母さん、お父さんは諦めずに言いたいことを伝えて欲しいですし、子供は成長する、という当たり前の現象をもっと信じて欲しいと思います。
これは習慣なのか?と問われたら返答に困りますが、確実性のないものを信じることは難しいことです。
自身の不安や焦り、怒りなどのマイナス感情に冷静に対象するために必要な毎日の心がけだと思います。
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