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デズニーと私、プライベート編

間もなく、再びステイホーム(オンライン授業)が始まる大学生の長女が、夏休み最後の思い出❣️と、言いながら「デズニーランド」に出かけて行きました。

私も、私のお袋も、ディズニーランドをデズニーランドと発音してしまう癖があります。子どもが小さかったころ、お袋が、「今日はみんなでデズニーでご飯食べようか」と言い、デニーズに子どもたちを連れて行ったところ、子どもたちが大泣きし、あらためて、本当のデズニーランドに行くことになったことがありました。そんな子供たちも、もう自分たちだけでデズニーに行ってくれるのでたいへん助かります。

魔法がかからない

私は、魔法がかかりづらい体質のようです。デズニーランドで夢を見ることができません。夢を見るのに、長時間も並んだり、だらだらと進む列が辛いです。パッ―と言ってサッーと済まして帰って来るのが理想です。

また、ジェットコースターは怖くて乗れないし、ショーは寝ちゃうし、高額なチケット代を払う価値がありません。そんな私でも、いっときデズニーランドの仕掛けにはまったことがあります。

アトラクションの中で動く人形の表情や、壁の中の絵が動く仕組み、空間に映し出された人形が踊る仕組みが面白くてたまりません。細かいところだと、実際には燃えていない炎を本当に燃えているように見せる技法など、夢中になって見ていました。

貢献的取り組み

また、家族と出かけるときは、役割が決まっていました。子どもが小さいころは、肩車担当でした。ショーを立ち見する人の一番後ろで子どもを肩車していました。そのため、私には、前の人の背中しか見えません。ときどき、大きくなった子どもたちが、そのころに見たショーの話で盛り上がります。しかし、私にはさっぱりわかりません。

子どもが大きくなると、私の役割は、ショーの場所取りになりました。朝、子どもたちから、一日のスケジュールを渡されます。私は、そのスケジュールに沿ってショーを見るための場所取りをします。待っている間は、ほとんど読書時間です。ショーが始まる間際になると、家族が来ます。そこで私は、次のショーの場所に移動します。ショーは見ません。

とりあえず、役に立っていたので、それで良かったかなぁと思っています。

デズニーデビュー

そんな私のデズニーランドデビューは早く、デズニーランドが開園した翌年のゴールデンウイークです。当時住んでいた地域のボランティアで出かけました。

当時から、障がいのある人たち、特にそのときは車いすを利用されている子どもたちばかりだったので、通常のウエイティングとは別にアトラクションに入ることができました。おかげで、ゴールデンウイークの最中に、ビック10というチケットの大半を使うことができ、友人たちが驚いていました。

これからの楽しみ

最近では、お父さんもう並ばなくていいよ、どこかでコーヒー飲んでて時間が来たら来ればいいから、と言ってくれます。しかし、人混みは苦手なので辞退しています。

子どもが「お父さん、ジェラシックパークなら行く?」と聞きます。行ってみたいですね。言われただけで、頭の中で、ジュラシックパークのテーマ曲が流れます。ただ、生きて帰って来れなかったり、サバイバルは嫌だなぁ…。実現しない方が賢明です。


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