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あの事件から4年が経ちました

2016年07月26日、今から4年前、悲しい事件が起きました。また、事件後に犯人の言葉が繰り返し報道され、さらにはそのことで、さまざまな言葉がネット上に飛び交いました。私は、その言葉が怖くて、しばらくネットを開くことができませんでした。しかし、そこで飛び交う言葉が現実であるということを受け止め、伝えるべきことは伝えていかなければいけない、そう考えるようになりました。

ある青年との出会い

私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。最近は、事務仕事が主体です。それでも、日々、利用者の皆さんに声をかけていただき、充実した毎日を送っています。

今から30年ぐらい前の6月のことです。私が働く事業所に、養護学校の男子生徒(高校3年生)が実習に来てくれました。私は、その彼と気が合いました。

彼は言葉がなく、一人で歩いたり食事をしたりトイレに行ったりすることができません。それでもそんなことはどうでも良く、なんとなく彼とは、気があうような気がしました。

私は、その実習で、彼が翌年の4月から事業所の利用者になることを決めました。

転職の誘いと私の選択

ところが、それから半年後、私に転職の話がありました。それまでボランティアでお世話になっていた人が、新しい事業の立ち上げることになり、私を誘ってくれました。その新しい仕事は、以前から私がやりたいと思っている仕事でした。

しかし、私は、悩んだあげく、その誘いを断りました。実習で出会った彼のことが忘れられませんでした。彼の利用決定をしたのは私です。その責任だけでなく、彼と一緒に働きたいと思いました。私は、彼との縁で、そのまま仕事を続け、今の社会福祉法人を作ることができました。

やがて彼は、常時医療的ケアが必要になり、私の法人を離れていきました。また、それから数年後に他界してしまいました。

貢献 

彼が亡くなる少し前に、彼のお父さんが亡くなりました。彼は、一人っ子だったので、お母さんと二人きりになり、彼が、お母さんを支えていました。

彼は、お母さんに労いの言葉も、感謝の言葉もかけられませんでした。しかし、心でお母さんを支えていました。

どんなに障がいが重たくても誰かに貢献をしています。彼がいなければ社会福祉法人はできなかったかもしれません。また、彼は、長男として最後までお父さんに代わってお母さんを支えていました。

4年前の事件で、犯人は、障がいのある人が家族にいたら、家族が不幸になるときめつけていました。それは、違います。

私は、これからも、だいじなことを実践しながら伝えていきます。

被害に遭われた皆さまは、今でも大きな傷を抱えて生活をされています。お見舞い申し上げます。また、その後の厳しい状況下において、それまでと変わらぬ支援を続けていらっしゃる支援者の皆様、関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

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