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利用者の通院付き添いについて

同僚と、利用者の通院付き添いについて話をしました。付き添う支援者は、誰がふさわしいのかという話です。利用者本人の負担を考えると、日ごろから一番仲の良い支援者が付き添った方が良いのではないか、という意見があります。反対に、仲が良い支援者が一緒だと甘えてしまい検査ができないことがある、という意見もあります。

加齢に伴う支援

私は、障がいのある人たちの支援をする仕事をしています。利用者の中には、私が働き始めた時からお付き合いをしている人がいます。30年以上の付き合いです。また、30年以上の付き合いとはいかずも、20年以上の付き合いをしている人は何人もいます。お互い、年を取りました。

年を取ると増えてくるのが通院です。長く付き合っている分、通院同行の支援が増えました

オウム返し

利用者の中には、体の痛みを正しく伝えることができない人がいます。特に自閉的な障がいのある人は、自分の体の見えないところで起きていることを認識することが苦手です。利用者は、その痛みを支援者に伝えられず、余計に苦しんでいます。また支援者は、その痛みについて詳しく知りたくて質問をします。しかし、かみ合いません。

支援者は、「どこが痛いの?」と、利用者の体の一部分を指さしながら質問をします。「ここが痛いの?」と指をさすと、利用者は、「ここ」と答えます。また違う場所を指さして「ここは?」と聞くと「ここ」と答えます。

支援者が「頭痛いかなぁ?」と聞くと、利用者は「頭痛い」と答えます。利用者は、そう言いながら足を引きずっていたりします。言葉に惑わされてはいけません。これは、「オウム返し」というパターンです。

言葉より行動に注目

また、利用者の中には幼少期からの経験で、痛いときは「頭が痛い」もしくは「お腹が痛い」と言う、と学習している人がいます。子どもが辛そうにしていると、親は「頭痛い?」「お腹痛い?」と聞いてしまいます。そこで、体の部位とは関係なく、痛みがあるときの表現として「頭痛い」「お腹痛い」という言葉ができ上ります。支援者は、言葉に惑わされることなく、利用者の動きを観察して痛みの状況を把握します。

痛みの状況を把握するためには、日常からよく見る、ということを習慣にしていないと違いに気づきません。

眼科と耳鼻科が苦手かなぁ…

痛みの個所を特定したのち、通院の支援をします。通院も病院によっては大がかりなことになります。通院しても診察や検査ができません。支援者の報告を聞いていると、眼科と耳鼻科が苦手のようです。得体の知れない器具がならんでいます。見た目にも怖そうな道具です。さらに自分の見えないところで触られるのが怖いのかもしれません。

私が、通院同行をした際、利用者が診察室で泣き叫ぶということがありました。大変だったのは、その声を聞いて、待合室にいた子どもたちが一斉に泣き出したことです。

また、意外なのは、歯科でのトラブルはあまり報告さないことです。比較的、幼少のころから行きなれているからかもしれません。眼科や耳鼻科は加齢に伴い通院が始まる人がいます。なかなかなじめません。

誰が付き添う?

どうしたら利用者が診察や検査ができるのかを考えていました。仲の良い支援者が行くのか、にらみを利かせることができる支援者が行くのか悩むところです。「それじゃ、最初にボクが付き添って検査して、検査が終わったら交代する?大がかりだねぇ…」その場は、そんな話で終わりました。

コミュニケーションが難しいことにより、病気の発見が遅れたり、不安が大きくて検査ができない、そんなことは避けたいです。加齢に伴い、病気の心配が増えます。そこに上手に寄り添っていけるようになりたいと思っています。


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