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ホワイトデーの(辛い)思い出

03月14日、今日はホワイトデーです。一時は雪も降り、寒いホワイトデーになりました。イルカさんのなごり雪がぴったりな一日にです。我が家の娘たちは、こんなに寒いのに、春の装いで彼に会いに行きました。気持ちはわかるけど、親としては心配です。

さて、このホワイトデー、いつから始まったのか疑問に思って調べてみました。始まりには諸説あり、有力とされるのが、42年前に福岡の老舗和菓子屋が「マシュマロデー」として始めたことが始まりのようです。その後、1980年に「第1回ホワイトデー」というイベントが開催され、銀座の大手百貨店などが大々的にイベントを組み、全国に広がったそうです。そのころ、マシュマロだけでなく、クッキーやキャンディーもキャンペーン商品として並んだとのことです。

1980年、私は15歳でした。当時の中学生にとって銀座は大人の街でした。また、今のように情報が瞬時に隅々まで伝わる時代ではないので、私はホワイトデーなんてまったく知りませんでした。私がホワイトデーを意識したのは専門学校に行ってからではないでしょうか。また私は、その後すぐ、辛いホワイトデーを迎えました。

専門学校を卒業して、地元にある小さな福祉事業所に就職をしました。その事業所は、障がいのある人の家族が中心になって作った事業所でした。そこでは、家族会が主催するイベントが頻繁にあり、小学生ぐらいのお子さんと一緒にそのご家族も参加していました。私は、その担当に就き、夏のキャンプや、ハイキング、クリスマス会など、年間を通じて多くのイベントを企画しました。またそこで多くのご家族と親しくなりました。それが、大変なホワイトデーにつながります。

1986年02月14日、バレンタインデーの翌日か翌々日にイベントがありました。そこに集まった子どもたちのお母さんが、「遅くなってごめんね」と、言いながらチョコレートをくれました。その数、30個を超えました。一生の内で、こんなにたくさんの女性からチョコレートを貰ったことはありません。このときは嬉しかったです。しかし、皆さん妻子持ちでした。

大変だったのはその一か月後のホワイトデーです。時代はバブル直前、今のように物を安く買える時代ではありません。また働き始めたばかりの私には大きな負担になりました。そこで考え抜いた私は、透明な細い棒の先にキャンディーが付いた物を大量に購入し、数本づつ束ね、教育セロハンでラッピングしました。懐かしい思い出です。

今は、家族のために買ったケーキを分けてもらい、楽しいホワイトデーをすごしています。

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