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アドラー心理学との出会い/アドラー心理学は対人援助全般に有効です

ブログが一般化したころ友達が投稿を始めました。そのころの私は「すごいなぁ」と言いながら、「自分は絶対にSNSやブログをしない」と思っていました。それなのに、間もなく連続投稿1000日です。2019年1月1日から、毎日、1000字ぐらいの文字を書いてきました。いったい、どういうことでしょう。
1000日が過ぎたら一休みしようと思っています。その前に、私の人生に大きな影響を与えた人について書きます。2人います。今日はその内の一人との出会いについてです。

私の人生に大きな影響を与えた一人は、精神科医で心理学者のアルフレッド・アドラーです。私がアドラーに出会ったのは2014年の初夏、49歳が終わろうとしているころのことでした。

事業所で事件が起きてしまった…

私は、障がいのある人が利用する社会福祉法人を経営しています。法人は、小さな事業所を複数運営しています。2014年の春、その事業所の一つで事件が起きました。事件後、私はしばらくの間、事件があった事業所にはりついていました。はりつくことによって、巡回では見えなかったことが見えてきました。

また、その事業所で感じたことは、居心地の悪さでした。事件は、事件を起こした本人に責任があります。しかし、その環境、事業所を作ったのは私です。今までのやり方の間違いに気がつきました。

その事業所では、支援者と利用者がタテの関係でした。支援者は、利用者に対して命令や注意ばかりしていました。また、支援者の口調は怒っているように見えました。

嫌われる勇気、図太い神経が欲しかった

そこで、法人理念を具現化した「支援姿勢」を明文化しました。そこには、下の3つのことを書きました。

・注意しないように工夫をしよう
・伝える工夫をしよう
・ルールを作りすぎないようにしよう

しかし、この支援姿勢に対しては、多くの支援者や利用者の家族から反発がありました。

私が「注意しないように…」とお願いをすると、支援者は「注意しなくてどうするんですか」と言いました。「もう少し伝え方を工夫しようよ…」と提案をすると「普通に言ったってわからないんですよ、少しきつく言った方がいいんです」と言い返されました。また「そんなルールいらないんじゃないかなぁ…」と言えば、「じゃ、みんな好き勝手にやっていいってことですか」と反発してきました。

そのころの私は、周囲の人が敵にしか見えませんでした。投げやりな気持ちでいたときに見つけた本が、岸見一郎先生の「嫌われる勇気」でした。最初は、人に嫌われてもいい、図太く生きていく神経が欲しい、そう思って読み始めました。

しかし、読み進むんでいくうち、アドラーの考え方で支援をしたら支援全体が変わるような気がしました。私は、アドラー心理学の勉強をするために早稲田大学エクステンションセンターに通い始めました。そこでまた、私の人生を大きく変える出来事が起こりました。

アドラー心理学を実践する

私は、エクステンションセンターで学んだことをすぐに現場で実践し、それを言葉にすることで自分の中に蓄えてきました。その一つがこのnoteです。

アドラー心理学を学び始めて一番最初に気になったのは目的論です。事故が起きたころの支援者と利用者のやり取りを例に説明します。

ある利用者は他害行為が多く、すぐに他人を叩いたり蹴っ飛ばしたりします。その利用者が別の利用者を叩きました。それを見た支援者は、大きな声で注意をしました。注意された利用者は、さらに興奮して声を出しながら他の人を叩こうとしました。支援者は、もっと大きな声でその利用者を静止させ、利用者の腕を押さえました。当時は、こんなことが頻繁にありました。

後日、その他害行為のある利用者が支援者にこんなふうに言っていました。「イタイイタイしてー」

そのとき、目的論を思い出しました。この利用者は、支援者に注意されて腕をつかまれることをお願いしているんではないのか、ということです。

自分の意思を上手に伝えることができない利用者がいます。その利用者が何かの理由で人を叩いてしまった、そのとき支援者に怒られました。しかし、本人はかまってもらったと思ったかもしれません。目的論で考えると、それからは怒ったりかまってもらうために人を叩くようになったと考えることができます。

それからその利用者とは、何にもないときにふざけるようにしています。今でも他害行為はあります。それでも以前に比べたらその行為は減ったし、なにより事業所の雰囲気が明るくなりました。

アドラー心理学は、対人援助全般において有効です。

連続投稿1000日まで、あと2日。

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