ハイネケンの約束(いつかの日記)
雨の中、夜の街に出かけた夜のお話です。
一杯めはハイネケンだった。これは「次にビールを飲む機会があったらハイネケンにしよう」と、池 辰彦さんの記事を読んでずっと決めていたから。
こういう時、ぜひ「スキ」はあちらに。いつも有益な記事ばかりなんです。どうなっておられるのか。見習いたいけど見習えないんです。なぜ。
「女性に暴力を振るう男はハイネケンを飲むな」。
いいですね、そういうメッセージを出す企業って。顧客の中に、自社商品に限らずアルコールを摂取して暴力衝動を抑制できなくなる人がいると認めなければ出せないメッセージ。勇気がありますね。「俺たちが暴力亭主だっていうのか! 客だぞ!」と苛立つ客は買わなくなるかもしれないんです。そういう迷いが企業にある時、真に必要な取り組みができないんですね。
でも、こうした企業の取り組みに嬉しくなって、普段飲まないお酒を飲みたくなる、私のような人間もいるわけですよ。
多分私は酒が好きじゃない。酒がというより、痛飲する人を見るのが苦手なんだろう。大人になってからは付き合いで飲んでたし、飲み屋で働いていた頃はガバガバ飲んでたけど、酒との付き合い方が分からないままで来た。この20年近くはお祝いでしか飲まなかった。気が合う人と飲んでいる時は楽しいし、飲んだことを後悔するわけでもないが、何に酔えばいいか分からないのかもしれない。もともとこっちは酔わなくても本音でしかしゃべってないし、人は酔おうが本音なんか話さないものだと知っている。もう「無礼講」なんて時代でもないんだろう。「じゃあアンタなんで飲んでんの」って思いながらこっちもグラスを空ける。今夜は話すと決めますか。やめときますか。相変わらずですか。おれはどっちでもいいけどさ、話すなら自分の言葉でしゃべらないと、おれは聞いてやらないよ。借り物の言葉、パンツ穿いたまんまの心、そんなの飲まなくてもいつもやってることじゃない。そう、飲むと寂しくなるからねえ。やっぱおれに酒は必要ねえよ、でも。
本音を話せない人にも少し優しくなりたくなって、それは酒の効用じゃないんだが、酔いのせいにしてしまえばこの夜を切り上げられるから。時々、酒は好きだ。
また飲みましょう、と改札で手を振る。次こそは本音で話せるみたいに。
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