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「その土曜日、7時58分」


 金が欲しかっただけだった。親が営む宝石店は保険に入っている。強盗をしても親にとって痛手にはならない。土曜の朝、雇われた女性が店を開けた時、実行する。誰も怪我ひとつしないはず――追い込まれた兄弟は強盗計画を実行する。思い通りに全て運ぶはずだった。2007年の映画。

イーサン・ホークに、フィリップ・シーモア・ホフマン。そんなの良い映画確定じゃないか。
仕事で成功しているように見えるが会社の金を使い込み破滅寸前の、薬物中毒の兄。弟と自分を比較し、自分は親に愛されなかった子どもだと感じている。コンプレックスだらけの人物だといえる
弟は離婚し学費養育費の送金が滞れば娘に会わせてもらえなくなる。弟も人生に意義が見出せない
だが、親が経営する宝石店を襲撃して金を奪う計画は悲劇を生むことになった。弟が自分ではできず、親の顔を知らない他人に、自分の代わりに強盗を実行してくれるよう頼んだからだ。そしてその日、店を開けたのは従業員ではなく、彼ら兄弟の母親だった。母親は強盗に立ち向かってしまう
母親を演じるのはローズマリー・ハリス。「メイおばさん」、ライミ版スパイダーマンのヒロイン
兄弟の厳格な父親(アルバート・フィニー)。父親がどうするか、その行動が本映画の見所だ
犯罪の動機なんて、こんなものだ。義などない。何を言ったところで意味はない。母親は死んだ。

 この兄と弟のような姉妹がいた。
 やったのは強盗じゃないし、裁きもない代わりに赦しもない。愚かな打算で母親を凄絶な死に追いやった娘として、ただ人生を生きていく。もう母親に謝れない。許されることもない。自分が生まれたことさえ悔いる時間が死ぬまで続くのだ。悪魔の迎えを待たずとも、人生はもう地獄でしかない。

 この映画には憐憫がある――だからこそ観客は何か救いを探し、絶望する。示された「救済」は他にないたったひとつのものに思えるからこそ重い。あなたは考えようとして、結局この映画が正しいと思うことになる。


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