人身事故

10月2日水曜日、晴れ

生まれて初めて。電車が人に接触、巻き込まれたその人の安否は不明という人身事故を起こした当の列車に乗り合わせるという事件に遭遇してしまった。

帰りの山手線。新宿駅に滑り込みながらの緊急停車。
「新宿駅ホームに転落したお客様がいらっしゃいます。そのため緊急停車いたしました。安全確認が取れるまでしばらくお待ちください」

数分のち、「ただいま運転手がお客様の安否を確認しております。もうしばらくお待ちください」

それから「ただいまお客様の救助をおこなっております。そのままお待ちください」

さらに10分ほど経過して「2号車、3号車の扉を開けて降りられるよう手配しました」。さらに数分経過したあと、車掌ではない別の声で「人身事故が発生しました。前の車両の方から順にお降りください」とアナウンスが入る。

僕が乗っていたのは6号車だったか。7時過ぎという帰宅時間まっただなかだったため、降りる順番が回ってくるまで5分くらいは待っただろうか? 人が動き始め、それに合わせて車両を移動する。みんなが同じように歩くと、車両って大きく右に左に揺れるんだね……。

降りたすぐ側の車両側面に大きくブルーシートがかけられ、黄色いテープを持った人たちが周りを囲んで人を近づけないようにしている。

(あ、正面からぶつかったんじゃないんだ)
そんなことが頭をよぎった。

ホームから転落した人
⇨運転手が急制動をかける
⇨間に合わず……
 という状況を想像していたので。

かすかに匂ったのは消毒液だろうか? 鉄臭さや生臭さはかけらも感じなかった。

「スマホのカメラで撮影しないでください!」
拡声器越しの大きな叫びがなんども繰り返される。

怖いものを見たい気持ちも、正直にいうと無くはなかった。けれどいくらなんでも悪趣味すぎるという理性の声が圧倒的に大きく、まったくの無表情、無関心をよそおって通り過ぎる。

後で調べたところ、車両がホームに入ったところで白杖を持った女性に接触したようだ。

* * *

鉄の塊が、人をひとり引っ掛ける。でも中にいた僕は、その衝撃も、命の重さも感じることがなかった。ただただ、そのあとの急制動にたたらを踏んだだけ。
いったい何年分の生活が、そのわずかな接触で吹き飛んだのだろうか?
失われたかもしれない命があって、それも数百メートルの距離でそれが起きたのだというのに。あまりにも現実感がなく、そして軽い。

すべてがブルーシートとテープの向こうに隠されて、血や肉の生々しさは消毒液に掻き消されて。

そんな世界に、生きている。
人の命に無関心でなければならない都会の生活を送っている。
だからもし僕が、その立場になったとしても、あっという間に消毒されて「なかったこと」にされてしまうんだろう。
そんな世界に、暮らしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?