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ウィル・スミスとマチズモ

見出し写真は TechCrunch - TechCrunch Disrupt San Francisco 2019 - Day 1, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=83610894 による。

女性やこどもを自立した主体として考えるということについて。
ぼくが妻やこどもを、ともすると自分の従属物のように考えているのだろうというおもいちがいに気づかされた一件についてのメモ。

* * *

マチズモとはマッチョである──という言葉。

ウィル・スミスがアカデミー賞受賞の場で、妻を揶揄されたからとコメンテーターを平手打ちした。
ぼくは言葉の暴力に腕力での暴力で応えたことを許してはならない、と考えた。

しかしこれにはもっと深い「無理解」が埋まっていた。

さて。
ここで問いを変えてみよう。
ウィル・スミスが揶揄に応じて立ち上がり、コメンテーターを小粋な揶揄でやりこめていたとしたらどうだろう?

おそらくぼくは、これならば「よくやった!」と認めただろう。

あなたは、どうだろうか?

* * *

陥穽(落とし穴)。
よくやった! そう感じたあなたも、残念ながら「マチズモ」に支配されている。すなわち、

女性は守らなければならない対象

だと。誰が? 男性が。

日本の道徳教育は、女子供を守りなさい、年長者を敬いなさい、と教える。
美しい徳目だとも感じる。

けれど。
自立を目指し男女の平等を実現するには、これを越えなければならない。

女性は(男性が)守らなければならない対象ではない。
彼女は「考える」頭を持っている。侮辱を受けたら自分で立ち上がる、そういう主体である。そう、あらねばならない。

欧米諸国で、ウィル・スミスが大きく株を下げたというのは、これが理由だそうだ。
いまだに(時代遅れの)マッチョ。
あるいは妻になりかわって「勝手に」侮辱されたと出ていった勘違い男。
(妻を自分の所有物と考えているから自分が侮辱されたと感じたのだ、という冷酷な指摘も)

こどもは、主体者として動けるようになるまで、親に代表される「庇護者」が守り育てる。そしていったん成人したら、彼/女の判断を尊重し、いかに不安を感じようと助けを求められるまでは後ろで支えることに徹する。
それが「大人」同士のつきあいかた。

西欧の「自立」とは、かくも厳しいものなのだなと感じた一件。

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