美しいコードが書きたい

11月20日水曜日、晴れ

粛々とコードの改造。
その甲斐あって責務の境界が今までよりくっきり立ち上がる。
とても気持ちがよい。
しかるに誰に褒められるでもなし、ある意味で虚しい。
自己満足と言われたらきっぱり否定するのも難しい。
動いたところで十分。次の仕事に取りかかれと言われたら(実際言われそうだ)どうやって反論し、また正当化できるだろうか?

文章にしてもコードにしても絵にしても、読めるあるいは動くもしくは描かれているものがわかるという段階に持っていくことと、そこから先、よりよい形にするという作業との間には大きなギャップがあるとおもう。
書いたものを成果物として賃金をもらっている以上、なにか水準があるものではないだろうか。いや、あってほしい。

特に「動くようになった」時点のコードなんてラフスケッチのようなものだと感じる。ひょっとすると構図が決まったあたりかもしれない。無駄を省いて色をのせ、一幅の絵として完成させるにはまだまだ踏まねばならない工程がいくつもあるのではないか。
あるいは文章のようなものだとすれば、これから推敲し校正を経て磨いてゆかねばならない第一稿のようなものではあるまいか。

いまだに能力の水準もわからない同僚の、見たか見ていないかもわからないレビューに乗せるだけで OK されてしまうのは、どうにも不信が募る。
ユニットテストがあればいい? 本当に? そのテストが十分であることは誰が保証するのか。コードの特性をただしくテストできていることを誰が確認するのか。組み合わせたときの全体像がよいものであると誰が確かめるのか。

全体と部分。そしてコードそのものが持つ簡明さ、美しさ。

たとえばコードが文学的なものであるとするなら、僕は僕が書いたものが文芸的であるとして評価されたい。しかし、そうじゃあないんだよな……。
僕は僕の書くコードがどのように評価されることを望んでいるんだろうか。
僕はどのようなコードを書きたいんだろうか。

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